[2008.1.7更新]

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2008年1月の5冊

 

 

『娘時代』 [請求記号: 950.2/1/363]

ボーヴォワール著 紀伊國屋書店

 この12月初旬、4年半ぶりにパリを訪れ、セーヌ左岸のサンジェルマン・デプレにあるパリ第5大学に隣接する古い教会内の宿舎に 滞在しました。奇妙なことに、私の宿泊した部屋は、ウクライナからの移住者が集う礼拝堂の真上に位置し、大学がなぜこんな建物の 中にゲスト用の宿泊施設を所有しているのか、不思議でなりませんでしたが、おかげでパリの中でもっともパリらしい地区のど真ん中で 1週間を過ごすことができました。
 サンジェルマン・デプレと言えば、1940年代後半から50年代にかけて、第二次大戦後のフランスの知的エリートたちが、 中でもサルトルやカミュといった人々が、そこここのカフェに集い、実存主義をはじめとする新思潮を世界に発信した場所として 知られています。1960年代半ばに高校生だった私は、仏文科出身の若い国語の教師に刺激されて、こういった新しい流れに属する フランスの文学・思想系の本をわけもわからず読み漁りました。その中で、今も最も印象に残っている本が、ボーヴォワールの 自伝的作品『娘時代』です。
 ボーヴォワールは、『 第二の性』という作品によって、今ではフェミニズムの祖としてしか振り返られなくなっていますが、 当時はサルトルと共に実存主義をリードする作家として有名でした。『娘時代』の原題は“Memoire d’une jeune fille rangee”で、 直訳すれば「お行儀のよい少女の物語」ということになるでしょうか。パリの由緒ある家庭の子女として生まれ育ったボーヴォワールが、 その出身階層の慣習やモラル、宗教からどのように自分を解き放ち、自分の頭で考え自立する女性になっていったかを、 この本は詳細に語っています。生まれも育ちも文化も違う日本の田舎の高校生には、この本に描かれるボーヴォワール自身の知的遍歴や 知的サークルでの人々との出会いは、なにやら手の届かない遠い世界の夢の中の出来事のように感じられました。 しかし、それが自伝であるということが、私自身の生きる世界とは別のところに夢でなく、「自由な精神の世界」の現実に存在する ことを担保しているようにも思え、私はそれに激しく憧れました。
 ボーヴォワールは、『娘時代』に続き、 『 女ざかり』、 『 或る戦後』、 『 決算のとき』という自伝四部作を書いています。 全部併せれば、世界でもっとも長い自伝作品かもしれません。なお、ボーヴォワールは1908年1月9日に生まれました。 今月で生誕100年となります。

(学術情報センター長 加藤義信(文学部児童教育学科))

 

『オシムの言葉:フィールドの向こうに人生が見える』 [請求記号: 783//305]

木村元彦著 集英社インターナショナル

 “In theory, there is no difference between theory and practice. In practice there is.” (理論では,理論と実技の差はない.しかし,実技では差がある).この言葉は,情報通信に関する国際会議で 某大学の有名教授が引用した格言です.実に奥の深い言葉であり,アカデミックで生きている人間にとっては 痛いところを突かれるような言葉と思いませんか.さて,誰がこのような本質的な言葉を発したのでしょうか? 正解はニューヨークヤンキースの往年の名選手ヨギ・ベラ選手です.彼の背番号8は永久欠番になっています.
 さて,今月紹介する本はサッカー監督オシム氏の示唆に富んだ言葉を集めるとともに,彼の激動の人生を紹介しています. この本からは,言葉の力をひしひしと感じます.“偏見・習慣・他者からの影響を振り払うために, 新しいものの見かたを見つけるための努力を怠ってはならない.”(N. H. Kleinbaum).本を読むことはその方法論だと思います. 本を読みましょう!

[1] 伊東一雄, 馬立勝,『 野球は言葉のスポーツ』,中央公論新社,2002.

(学術情報センター長補佐 奥田隆史(情報科学部地域情報科学科))

 

『アイアン・ホース』[映像資料] [請求記号: DVD//391]

ジョン・フォード監督 アイ・ヴィ・シー

 ジョン・フォード(1894〜1973年)といえば、西部劇に定評のあるアメリカを代表する映像作家で、 あの黒澤明やゴダールなどの巨匠に大きな影響を与えた映画人であることはよく知られています。今でも、ときおりTVの名画劇場で、 『荒野の決闘』(1946年)や『 黄色いリボン』(1949年)などが放映されることがあるので、 詩情溢れるその作品に触れたこともある方もたくさんおられるでしょう。今回、紹介するのは、彼の若い頃の作品で、 19世紀のアメリカ大陸横断鉄道建設事業を描いた『アイアンホース』(1924年)です。
 映画は、鉄道建設に邁進する若者や鉄道建設労働者と、自分の土地に鉄道を通すことで利益を得ようという悪役(白人) との対決を中心に、ロマンスあり、また西部劇定番のハデな銃撃戦ありなど、サイレント(無声映画)ではありますが、 アクション映画の定石をてんこ盛りにした活劇です。
 映画『アイアンホース』のテーマである大陸横断鉄道建設が進められた時期は、南北戦争(1861〜1865年)と重なる時期であり、 アメリカは深刻な分裂の危機を迎えていました。大陸横断鉄道建設事業は、単に東部と西部を鉄道を介して連結させるだけではなく、 分裂の危機に瀕したアメリカを、再び一の国民国家として再生させるための「神話」を担うものでもありました。 『アイアンホース』でも、この「神話」はさりげなく提示されます。二人の鉄道建設労働者(白人)が、喧嘩を始めようとした時、 主人公の一人である若者が仲裁に入り、「出身が違っても、同じアメリカ人じゃないか」というシーンがあるのがそれです。 ジャン=ミシェル・フロドンがその著書『 映画と国民国家』(岩波書店)で述べたように、 まさに国民国家の創生に、映画は助力の手をさしのべたのでした。この大陸横断鉄道完成以後、アメリカは、米西戦争、義和団戦争、 そして二度の世界大戦を経ていく中で、さらに国民国家としての凝集度を高めていきます。
 大陸国家を生み出し、国民国家アメリカの創生に一役演じた大陸横断鉄道ですが、この鉄道建設を担った人々の中に、 中国からやって来た人々が居たことは忘れるべきではないでしょう。フォードの『アイアンホース』でも、 困難な鉄道建設に従事する彼ら中国人鉄道建設労働者の存在が映像化されています。彼らについては、 あくまでも添景の範囲を超えるものではないのですが、それでも、映画の中で印象に残る場面も無いわけではありません。 フィルムの最後の辺りになろうかと思いますが、白人の鉄道建設労働者(現場のリーダー?)が噛み煙草と思しきものを、 一緒に鉄道建設に従事する中国人労働者に勧めるシーンがあります。この場面は、差別やその活動に制限が課せられることが多かった 中国系移民達が、国民国家アメリカを生み出した困難な建設事業で重要な役割を演じたことについての、 当時のフォードなりの正当な評価の一表現であったように思えます。そういえば、彼は後年、社会的弱者の立場に立った、 社会批判を込めた優れた映像作品である『 怒りの葡萄』(1940年)や 『 わが谷は緑なりき』(1941年)などを世に送り出しています。
 大陸横断鉄道建設事業に係わった中国人労働者について言及した本や記事はいろいろあるようですが、ここではロレンス・イェップ作 『 ぼくは黄金の国へ渡った = Dragon's Gate』 (徳間書店)をあげておきます。著者はアメリカ生まれの中国系アメリカ人。 シエラネバダ山脈中で、鉄道建設に従事する中国人少年労働者が主人公の児童書です。 いささかアメリカナイズされた登場人物と筋書きが気にはなるところですが、それでも当時の中国人労働者が置かれた過酷な環境を 理解する一助にはなろうかと思います(作者は、作品中で中国人労働者が置かれた過酷な環境は、自分勝手に創造で作り上げたもの ではない、ということを同書のあとがきで述べています)。
 アメリカ大陸横断鉄道は、困難な工事の末、1869年5月10日、プロモントリー・ポイントで「黄金の犬釘」が打ち込まれ、開通します。 ちなみに、映画のタイトルである「アイアンホース」とは、黒煙をあげて荒野を疾走する蒸気機関車=鉄道のことで、 ネイティブ・アメリカンがそう呼んでいたとの由。

(学術情報センター図書館 米井)

 

『滝山コミューン一九七四』[請求記号: 916//247]

原武史著 講談社

 “12月の5冊”で取りあげた『権威と権力』の準備中に偶然に読んだ1冊を、関連づけて紹介します。
 著者の原武史氏は1962年生れの日本近現代政治思想史の研究者ですが、本書は著者が小学生の時に遭遇した、 学校で巻き起こった現象を描いたノンフィクションです。その現象とは、「国家権力からの自立と、 児童を主権者とする民主的な学園の確立を目指し(本書p19)」著者の母校で繰り拡げられた諸活動で、具体的には、 班を単位とする学級集団づくりや、その発展型としての学年・学校の組織化、そうした体制において行われた行事やその効果・影響、 そして、それら一連の動向のバックボーンをなしていた理論・思想、などです。
 班別の係活動、児童委員会の活動や役員選挙、児童が主体となって計画・実施される諸行事など、誰でも覚えのある小学校生活ですが、 ここに記されている1974年当時の小学校(=著者の母校)の姿を現在の視点からあらためて眺めてみると、 集団が「理想」に向かって邁進するときいかなる変貌を遂げていくかが、ある種の異様さを伴って伝わってきます。 なお、世代によっては一読されて、部分的に「似たような体験をした」と感じられる方もあるのではないかと思います。
 渦中にあって、小学生ながら冷静な視点を持ち堪え得た著者のバランス保持力と、30余年を経てこのような記録として 上梓されたことを多とするものですが、本書を紹介するにあたり申し添えたいのは、1974年の一現象を描いた本書の出現によって、 同じ1974年当時に刊行された前掲『権威と権力』においてなだいなだ氏が指摘していたことの意味をあらためて考えてみる 良い機会が与えられたのではないかということです。もちろん、この2冊は内容的にとくに関連づけられているのでもなければ、 なだ氏の著書が原氏の著書の中で引用・参照されているわけでもありませんが、本質的には同じ問題を捕えているように思います。
 偶然にもたらされた立体的な読書の可能性という例としても、両書の併読をお勧めします。

(学術情報センター図書館 鋤柄)

 

『鳥獣戯語』 [請求記号: 388/3/200]

福音館書店 (いまは昔むかしは今 第3巻)

 今年は子年。世界で一番有名なねずみ−ミッキーマウスは、あちこちへ年賀状やメールで飛び交っていたことでしょう。
 ねずみというと日本では大変愛されていて、絵本などにも主人公になっているものが多く見られます。 そしてこれは現代だけの話ではなく、かなり昔からのことのようです。この本で紹介されている話の一つ『弥兵衛鼠』は 江戸時代頃の絵巻で、人間の姿をした鼠の絵に、思わず顔がほころんでしまいます。物語は現代語訳ですので、 身構える必要もありません。(もっと深く知りたくなった人は他の図書を調べてみてください。)
 昔、お正月には祝言性豊かな物語を読む習慣があり、この物語は子の年の初めに読むために創られたのであろうということです。 皆さんも昔にかえって、雁の胸に噛み付いたまま空を飛んで遥かな国へいくことになってしまった白鼠の冒険の物語を読んでみませんか?
 『十二類絵巻』『鳥獣戯画』など、他の動物の話もたくさん載っています。

(学術情報センター図書館 平田)