[2008.6.2更新]

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2008年6月の5冊

 

 

『茨木のり子詩集』 [請求記号: 911.1/20/177]

茨木のり子著 思潮社 (現代詩文庫)

 6月は梅雨の季節。熱帯の雨季と異なって、本当は毎日毎日雨だというわけでもないのに、なんとなく鬱陶しい気分になりがちです。ところが、茨木のり子の次の「六月」という詩に出会って、私の6月のイメージは根底から塗り替えられました。

 どこかに美しい村はないか
 一日の仕事の終りには一杯の黒麦酒
 鍬を立てかけ 籠を置き
 男も女も大きなジョッキをかたむける

 どこかに美しい街はないか
 食べられる実をつけた街路樹が
 どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
 若者のやさしいさざめきで満ち満ちる

 どこかに美しい人と人との力はないか
 同じ時代をともに生きる
 したしさとおかしさとそうして怒りが
 鋭い力となって たちあらわれる

 このわずか12行の詩に歌われている世界はひとつの「桃源郷」です。しかし、世事から離れた隠れ里としての「桃源郷」でなく、若者がいて労働と満ち足りた休息のある、みずみずしい力にあふれた「桃源郷」です。現実の変革へと踏み出す拠点となる「桃源郷」です。
 この詩を含む茨木のり子の詩集に、二十歳のとき初めて出会いました。1年の12ヵ月が全部6月であるような、鬱陶しい気分とかたくなな心に囚われていた大学生にとって、こんなにも颯爽として、眩しいほどに美しい別の6月のイメージのあることが驚きでした。それから、折にふれそのイメージに支えられて、二十代というむつかしい人生の一時期を過ごしえたことを、私は今でもこの詩人に感謝しています。
 茨木のり子は1926年に大阪で生まれ、6歳のときに愛知県西尾市に移り、小学校時代と多感な十代の大半をこの地で過ごしました。その後、19歳のとき東京で敗戦を迎え、戦後の1950年から詩を書き始めます。彼女の初期の詩集『対話』と『 見えない配達夫』に収められている詩のほとんどは、この年から10年の間に書き溜められたものです。二十代後半から三十代前半にかけて、戦争によって奪われた青春の記憶と向き合いつつ、背筋をしゃんと伸ばして、しなやかな感性で日々の暮らしとその未来を歌ったこの二つの詩集が、私はとても好きです。
 茨木のり子は、一昨年、80年の長い生涯を閉じました。その人生を振り返って、亡くなる直前に書いたと思われる文章の中で、彼女は「今まで読んできた詩のなかで、一番好きな詩」として、次の短い一節を挙げています。「年をとる それは青春を 歳月のなかで組織することだ」(ポール・エリュアール,大岡信訳)[茨木のり子・長谷川宏『 思索の淵にて―詩と哲学のデュオ―』]。戦争が終わって、自らの青春を次のように歌った詩人は、その後の人生をエリュアールの詩のように見事に生き抜いて他界しました。

 私が一番きれいだったとき
 街はがらがら崩れていって
 とんでもないところから
 青空なんかが見えたりした

 (中略)

 私が一番きれいだったとき
 私はとてもふしあわせ
 私はとてもとんちんかん
 わたしはめっぽうさびしかった

 だから決めた
 できれば長生きすることに
 年をとってから凄く美しい絵を描いた
 フランスのルオー爺さんのように
               ね

(学術情報センター長 加藤義信(文学部児童教育学科))

 

『日本史の旅は、自転車に限る!』 [請求記号: 291.09/H57]

疋田智著 エイ出版

 先月下旬の一冊の紹介を補足します(GW中にたくさん読みました).先月は,推薦図書として,『 日本人の思い』を紹介しました.この本では,我々が日頃抱いている常識的な知識が少し違っているということでした.GW中に,私は,似たようなアプローチで米国の状況について書いてある書籍 [1]を読みました.この本に取り上げられている例によると,コンピュータ関連の技術者は,“根暗で人付き合いがヘタで友人の数も少ないのだろう”という定説は,最近のデータでは違ってきており,彼らの方が,むしろテクノロジーを使いこなすため,情報化社会ではむしろ社交的な傾向があると書いてありました(研究室の学生さんをみるとその通りです).先入観には注意した方が良さそうです.現代社会は価値観が多様になってきており,村上龍氏が[2]等で書いているように「日本人(米国人,愛知県人,名古屋人・・・)をマスで捉えることが,すでに不自然になっている」ということを,再認識しました.
 さて,今月の一冊を紹介に戻ります.皆さんは,京都に初めて出かけたのはいつだったでしょうか?私(岐阜生まれ)は,記憶に残っているのでは,小学校6年生の修学旅行で行ったのだったと思います.たぶん日本史の学習のために行ったはずですが「恒例の枕投げが楽しかった」とは言えますが,神社仏閣を巡って日本史を学習した記憶はあんまりありません(私だけかもしれません(笑)).枕投げ経験者は,「もう一回行ったし,その時,面白くなかった(先入観!)から再訪する必要はない」と考えているかもしれません.大人になり知識も増えたはずです.再訪してみたらどうでしょうか?
 今月紹介する本の帯に,「たぶん日本の歴史ってヤツは,自転車と同じぐらいのスピードで進んでいるなって思ったりもした」とあるように,自転車で史跡巡りをすると愉快ではないかという提案をしています.著者の疋田氏は,自転車ツーキニスト(自転車で通勤する人)という造語を発案した人です.紹介本以外の彼の著作(例えば[4])を読むと,自転車と社会を新たな視点でとらえ直しており,自転車の魅力を再発見したくなると思います.
 ご存じの人も多いともいますが,6月になると自転車の通行に関連するルールが大きく変わります.例えば,並進,走行中に携帯電話やヘッドホンステレオを使用することが禁止されます.これまで以上に安全走行に努めてください.さて,夏休みまで約2ヶ月です.そろそろ計画を立てると良いと思います.[5]や[6]は参考になります.

[1]マーク J.ペン, E.キニー・ザレスン, 吉田晋治 (翻訳),『 マイクロトレンド : 世の中を動かす1%の人びと』,日本放送出版協会, 2008.
[2]村上龍,『マクロ・日本経済からミクロ・あなた自身へ―村上龍Weekly Report』,日本放送出版協会,2002.
[4]疋田智,『 それでも自転車に乗り続ける7つの理由』,朝日新聞社,2007.
[5]加藤昭吉,『 「計画力」を強くする』,講談社, 2007.
[6]ロバート・ハリス,『 人生の100のリスト』,講談社,2004.

(学術情報センター長補佐 奥田隆史(情報科学部地域情報科学科))

 

『日記の虚実』 [請求記号: 080/217/18]

紀田順一郎著 新潮社 (新潮選書)

 本書は従来文学作品として扱われることが多かった文学者・芸術家の日記を、本来の日記としてとらえ直してみようという試みです。日本人ならではの日記作法や、公開の意思の有無も考慮しながら、そこに表された本来の意図を探っていきます。その結果、書き手の生々しい葛藤があぶり出され、言葉は悪いのですが暴露本的な面白さがあります。樋口一葉、岸田劉生、永井荷風、教科書で名前は知っていてもほとんど記号的な認識しかなかった過去の偉人が、にわかに身近に感じられます。特に小説家徳冨蘆花の日記は、居候の若い女性への恋慕や、兄蘇峰への屈折した思いが強烈すぎて、過去の人なのに大丈夫かなぁと心配してしまいました。
 本書は1988年に新潮選書で刊行され、1995年にちくま文庫になりましたが、現在はどちらも新刊では入手できません。ぜひ図書館で借りて読んでください。

(学術情報センター図書館 新川)

 

「図書館戦争シリーズ」
『図書館戦争』 [請求記号: 913.6//776]
『図書館内乱』 [請求記号: 913.6//775]
『図書館危機』 [請求記号: 913.6/A71]
『図書館革命』 [請求記号: 913.6/A71]

有川浩著 メディアワークス

 本シリーズは、図書館好きなら必読の書として話題の作品です。といっても、司書のお仕事はほとんど登場しません。
 この作品の主題は、図書館の自由を守る「図書隊」と超法規的検閲を行う合法組織「メディア良化委員会」との抗争を背景に登場人物たちの姿をエンターテイメント性豊かに描いた娯楽作品です。肩の凝らない読み物に違いありませんが、いくつか心に引っかかるテーマがありました。
 それは、人権侵害を理由として主人公の一人が拘束され、その被害者とされた中途失聴者である登場人物が拘束を不当なものとして証言する場面です。委員に対して、「聾者と中途失聴者と難聴者の区別もついてないのになぜ差別があったと糾弾できるのか」と証言する場面です。私自身その区別を意識していませんでしたので、読後いろいろ調べました。無知は、悪意がなくとも当事者を不快にさせます。
 もうひとつ、作品内で「図書隊」の成立を語る場面があります。法的根拠として、図書館法の「図書館の自由が侵される時、われわれは団結して、あくまで自由を守る。」という条項を挙げていますが、現実の図書館法にはその条文はありません。しかし、図書館を利用する方々はご存知であろう「図書館の自由に関する宣言」の中に上の条文が存在します。作者もこの存在を知って、この作品を書いたようです。
 この作品の楽しい部分以外にも目が止まった方は、「図書館の自由」について調べてみてください。現実世界での図書館の自由を守るための騒動を知ることができるでしょう。

(学術情報センター利用案内室 浅野)

 

『日本語の作文技術』  [請求記号:816/H84]

本多勝一著 朝日新聞社 (朝日文庫)

 私たちは日本語を何不自由なく使いこなしているはずですが、いざ文章を書こうとすると、自分の思い通りに書いたつもりでもあとから読み直すと単純な“てにをは”さえ間違って書いていることがままあります。
 それは思考速度と記述速度が異なるために、一貫した文章が構築できる前に、文章内容の展開がどんどんあらぬ(?)方向へ動いていってしまうためではないか、と考えていますが、しかし、ゆっくり考えて書くとしても、前提として、きちんとしたわかりやすい文章構成がどのようなものか、をしっかり理解しておく必要があると思います。
 ここに挙げた本の著者は朝日新聞社の記者を長らく行ってきた方であり、読ませる文章を書くことにかけてはトップであるといえます。実際この本のタイトルと同様な講座を文化センターで開催されたりもしています。もちろん、この著者の文体が好きか嫌いかは人によりますが、そういった“好み”の部分を越えた、もっと基本的な、しかし文法というよりはもっと上位の範疇での“日本語のルール”、そのような認識ができる指南書、それがこの本だと思っています。
 ひょっとしたら、高校の授業でこの本が扱われているとすれば、それは私には羨ましいことで、私は大人になってこれを知ってからでしか、それなりに文が書けるようになりませんでした。
 もし読まれていない方があれば、ぜひ一度読まれることをお勧めします。

(学術情報センター利用案内室 河合)