[2008.11.28更新]

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2008年12月の5冊


 

 

『中野重治詩集』・『歌のわかれ』 中野重治著

思潮社(現代詩文庫) 1988年 [請求記号:911.1/1032/177]
中野重治全集 5巻 筑摩書房 1976年 [請求記号:910.9/5/214]

 10月末から1週間にわたって行われた県大ファンファーレの行事は、11月5日に無事終了しました。私も期間中、いくつかの行事に参加しましたが、5日の朝に行われた佐々木雄太学長、国文学科の宮崎真素美先生、山口俊雄先生の公開講義《戦(いくさ)と詩歌》からは特に刺激を受けたので、今月はそれに関連する本を紹介しようと思います。
 公開講義では、佐々木学長がイギリスの愛国歌、宮崎先生が日本の明治期の軍歌の誕生についてお話になり、それぞれ私の知らなかった事実を教えられました。しかし、自分の読書経験とかかわって、改めて戦争と詩歌の関係について考えるきっかけとなったのは、第二次大戦中、反戦感情を抱きながら時代への鬱屈とした気分の中で生きた石川淳についての山口先生の報告でした。そのお話を聞きながら、私は頻りに中野重治の詩のことを思い出していました。
 戦争が為政者によって避け難いもの、大義あるものとして与えられ、それをそのようなものとして受け取るとき、戦意高揚の感情の渦の中に人々は巻き込まれていきます。多くの詩人や歌人も例外ではなく、高村光太郎も三好達治も齋藤茂吉も、戦争中は戦意発揚の詩歌を発表しました。ところが、戦争そのものや戦争への道を大義なきもの、あるいは不条理として受け取る人々にとっては、昭和の初期から敗戦までの20年間(1926年−1945年)は耐え難い時代であったでしょう。この時代は、暴力を背景とする厳しい言論弾圧が吹き荒れた時代でもありました。そうした中で、一部の知識人は、暗澹たる気持ちを抱えながら社会から一歩身を引き自閉することによって、かろうじて自分の良心を支えたのでした。
 しかし一方、こうした時代にあっても、反戦詩を公然と書き継いだ人々のいたことを、私はその人たちを襲ったさまざまな不幸とともに忘れてはいけないと思っています。中野重治はその中でも、悲哀と激しさの感情のこもる、もっとも優れた反戦詩を残した詩人でした。正月休みに故郷の雪国に帰省する紡績女工たちを歌った以下に挙げる詩「汽車 三」(1927年)、寒々とした雨の中を朝鮮半島に帰郷する人々を歌い、プロレタリア詩の傑作とされる「雨の品川駅」(1929年)、反戦活動そのものを歌った「夜明け前のさよなら」(1926年)などの中野重治の詩は、小林多喜二の『蟹工船』が静かなブームとなっている今の時代に、もう一度読まれることがあってよいのではないかと思います。

 さよなら さよなら さよなら さよなら
 さようなら さようなら さようなら さようなら
 おれ達はそれを見た / おれ達はそれを聞いた
 百人の女工が降り / 千人の女工が乗り続けて行くのを (途中大幅省略)
 そこは越中であった / 金持ちの名産の国であった
 そこの小さな停車場の吹きつさらしのたたきの上で
 娘と親と兄弟とが互いに撫で合った
 降りたものと乗り続けるものとの別れの言葉が
 別々の工場に買ひ直されるだらう彼女達の
 再び逢はないであらう紡績女工達の / その千の声の合唱が
 降りしきる雪の中にきりきりと捲きあがった               (『汽車 三』より)

 この「汽車 三」の詩に典型的に表れているように、中野重治は「別れ」や「かなしみ」やその舞台となる「駅」を好んでテーマとして描いた詩人でした。そして、そうした「かなしみ」を強いる存在への憤怒の感情を詩的表現にすることのできた稀有な詩人でした。もちろん、中野重治詩集の中には、当時の左翼知識人を覆ったロシア・マルクス主義の影響を受けて、政治的プロパガンダの文書としか思えない生硬で稚拙な詩も含まれています。しかし、それでも国を挙げて戦争への道を歩みつつあった1920年代後半から30年代にかけて、深く心を揺さぶる美しい反戦詩が彼によって幾つかは書かれたことを、この国の今を生きる私たちはもっと記憶に留めてもよいのではないかと思います。
 中野重治は1902年に福井県に生まれ、1926年の東大在学中にプロレタリア文学運動に参加、1930年5月に治安維持法違反で逮捕・起訴、12月保釈、1932年4月再び逮捕、1934年5月まで豊多摩刑務所に収容されます。そしてその月、東京控訴院法廷で共産主義運動から身を引くことを約束して出所、いわゆる「転向」作家として以後の戦中を深い心の傷とともに生きることになります。治安維持法違反で逮捕された1930年頃から、中野重治は詩を書かなく(書けなく)なり、以後、戦後もその執筆活動は小説に限られていきます。その理由をめぐっては様々な憶測が可能ですが、中野重治自身が日本の詩歌の伝統の中で育んだ自らの詩的感受性の中に含まれる「軟弱な」美意識や感傷性をどう乗り越えるかを、20代のはじめから課題として意識していたことが大きいと言えるでしょう。それゆえ、「歌」と題する作品(1926年)の中では、「お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌ふな / 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌ふな」と「歌う」ことの禁止を逆説的に歌うことになったのです。また、戦争中に執筆した自伝的小説『歌のわかれ』(1940年)では、「精神の貧弱さから知らず知らずのうちにどたん場を避けて」生きる青春期の自分への決別を、それまで親しんだ「短歌の世界」への別れと重ね合わせて描いています。ただ、このような課題意識が、治安維持法下の圧倒的な権力の暴虐の中で、また、それに対抗する政治運動の未熟さの中で、正当な解決の道を見出せず、中野重治自身の優れた詩的資質そのものの圧殺に繋がっていったことを、私は時代の不幸として悲しまざるを得ません。

 中野重治の一生を知るには、松下裕『評伝中野重治』(筑摩書房)が適当です。また、詩の解説としては、北川透『近代日本詩人選 中野重治』が優れています。

(学術情報センター長 加藤義信(文学部児童教育学科))

 

『The Book of Tea』 Kakuzo Okakura (岡倉覚三)著

『茶の本 The book of tea』 IBCパブリッシング(対訳ニッポン双書) 2008年 [請求記号:837.7/O41]
日本語版『茶の本』 岩波書店(岩波文庫) 1961年 [請求記号:080/338/22C]


 日本が嫌いと思っていたのに、いざ海外で暮らし始めると愛国心が湧いたりします。また、海外に出て、現地の人に日本のことをいろいろたずねられて、はじめて日本についてあまりにも無知なのかを知らされることがあります。さらには、タイなどのまばゆいかぎりの寺院と比べて、日本の寺院はなぜこんなに質素なのかと不思議に思う人がいるかもしれません。このような経験を既にした人もこれからするかもしれない人にも、お薦めなのが“The Book of Tea”です。この本は約100年前に書かれたもので、その目的は、東洋美術の軽視化を覆すこと、および、外から見ると一見不可解な東洋の文化を紹介することにありました。(日本人でもないのに、「わび」だとか「さび」だとかえらく日本の文化に詳しい欧米人に会ったら、この本を読んでいる可能性が高いでしょう。)そして、この本が約100年経った現在も我々に語りかけてくるものがあるのは、現在の多くの日本人が忘れかけているような日本の美的観点を分かりやすく、丁寧に説明しているからだと思います。内容の一部を紹介すると、なぜ、「茶」を行う場の「すき屋」は、作るのに莫大なお金がかかるのに、質素でなければならないのか、なぜ、「左右対称」が忌み嫌われ、花の絵よりも実際の花の方が重宝されるのかといった疑問をきわめて明瞭に説明しています。
 もともと、原著は英語で書かれているので、英語版をお薦めしますが、それのみならず、日本語版のほうは、古く格式ばった日本語で書かれているので大変に読みづらくなっています。それに対し、英語版のほうは、日本人が書いたのに(といったらおかしいですが)すばらしい英語で、それほど難しくありませんので、是非、原著で読んでみてください。

(学術情報センター長補佐 森田久司(外国語学部英米学科))

 

『幸福ということ : エネルギー社会工学の視点から』  [請求記号:080/838/23]

新宮秀夫著 日本放送出版協会 1998年

 10月から11月にかけて今年の10大ニュースに残りそうな,それどころか将来の教科書にのるのだろうなと感じるような事件がありました.“アメリカ発金融危機”,“株価:史上最大の下落率/史上最大の上昇率”そして“オバマ氏大統領選勝利”などです.この期間の新聞を集中的に読むと,社会常識や国際状況などの現状や歴史に急に詳しくなるかもしれません.さて,これらの大ニュースが他国の新聞でどう報道されているのでしょうか.ワシントンDCにある新聞博物館Newseum (ニュージアム)のホームページhttp://www.newseum.org/では,アメリカを中心に世界各地の新聞の第一面を見ることができます.2008年11月5日のリンクをたどると,オバマ氏勝利一色で,色々な表現があるのだなと感心しました.ちなみに日本は3紙が登録されており,5日の第一面は,時差の関係で医学部定員増,新車販売激減など国内ニュースでしたが, 6日はオバマ勝利でした.
 この金融危機は,人類に対して「幸せ」の再考を問いかけているのではないかと紹介図書を再読しながら思いました.紹介図書の著者は工学部の教授で,古今東西の幸福論を読み漁った成果をまとめています(意外と少なく400冊しかなかったそうです.また,幸福という話題が座をしらけさせたとも書いてあります).紹介図書では,人間はそもそも「幸福」を求める動物であり,特に最近は,金銭的成功や商品購入や名誉など物質的または経済的な“幸福”と考えがちなため,人類全体がそこに突き進んでいると説明しています.金融危機の背景には,人類が物質的・経済的幸福を求めすぎているという警告があるのかもしれません.地球温暖化や石油資源枯渇なども,求めるべき幸福を再考せよというメッセージなのかもしれません.「たのしみは まれに魚煮て 児童(こら)皆が うましうましと いひて食う時」(橘曙覧,1812-68)というような,たまに魚を食べるだけで幸福だった時もあったのです.
 魚やうましうましに相当するものは何なのでしょうか?大学生活に限定すると,ヒントらしき分析が論文[1]に,“「教員とのコミュニケーション」が,学生の「学習意欲」へ良い影響を与え,「学習意欲」は「大学生活の満足度」に良い影響を与え,ひいては「将来のキャリア」へと繋がる.”とありました.教員と学生とがコミュニケーションを密にとることで,それぞれの魚がみえてくるのかもしれません.余談ですが,私は焼き魚派です.
[1]見舘好隆,永井正洋,北澤武,上野淳,“大学生の学習意欲,大学生活の満足度を規定する要因について”,日本教育工学会論文誌, vol.32, no.2, pp.189-196, 2008.

(学術情報センター長補佐 奥田隆史(情報科学部地域情報科学科))

 

『調べ学習の基礎の基礎 : だれでもできる赤木かん子の魔法の図書館学』 [請求記号:375/A29]

赤木かん子著 ポプラ社 2006年

 「それでは、アンパンマンを引いてみましょう。」と百科事典の引き方を小学生時代に習った人は、どれくらいいるのでしょうか?図書館のしくみやレポートの書き方、著作権や参考文献は‥?この本は、小学生が調べ学習を楽しくできるようになるために必要なことが、説明されている本です。しかし、もう大人になってしまっていても、今までのおぼろげな知識の輪郭がはっきりすることでしょう。何事も骨組みがしっかりしていることは大切です。
 そして、解説とワークでできたこの本が完成する基となった授業ライブをまとめたのが、『しらべる力をそだてる授業!』です。もっと具体的な、授業で子どもたちにどのように伝えるかがわかりますので、教員を目指す人には2冊併せて読むことをおすすめします。皆さんの未来の生徒達のキラキラした瞳を想像してみて下さい。

(学術情報センター図書館 平田)

 

『原始人の技術にいどむ』 [請求記号:502/I93]

岩城正夫著 大月書店(国民文庫) 1980年

 原始人に戻れ、という気は毛頭ありません。しかし…、なのです。
 日頃、何気なくパソコンを使っている人が多いと思いますが、パソコンを自分で作れるか、というと相当困難なはずです。パーツを買ってきて組み立てるのは可能ですが、パーツが買えるという意味はどういうことでしょうか。全くゼロから作るとなると、パソコンはもうほとんどの人が自作することなど考えられません。
 人間が作り出す“もの”のあらゆる素材は自然の中から取りだしています。パソコンの頭脳であるCPUと呼ばれる大規模集積回路も例外ではありません(大量のゴミ、これさえも何らかの材料!)。CPUを作り上げるには人類の長い発展の歴史が必要でしたが、もの作りの始まりは原始人の生きるための技術から始まったといえます。そして原始人は“作られた部品”も全くなくただ身の回りの自然だけ、自然の“恵み”だけから生活に必要なものを作っていました。だから、自分だけで自然からモノを創り(作り)出す──それはどんな技術においても最初の第一歩、だと思います。
 この本に出てくる“火熾し”の技術。日本の現代社会においてはほとんど陳腐な技術ですが、山で遭難というような状況に陥ったら、火を熾せるか否かは生き延びることに大きく係わって、役に立つどころか命に関わる、身に付けていて然るべき技術(技能)となります(原始人なら遭難などではなく、現代の我々の生活習慣からの視点で“遭難”といえますね)。
 それ故、この著者のようにまで火熾しのマイスターになる必要はないのですが、こういった原始人技術は一度は体験しておくべき基礎の基礎としての技術であるように私には思われます。なぜなら、人間が生きる出発点がそこであるから。だから、なのです。

(この著者の本は『原始技術史入門 : 技術の起源をさぐる』『原始時代の火 : 復原しながら推理する』が、やはり古いものですが、図書館書庫にあります)

(学術情報センター利用案内室 河合)