[2009.2.5更新]

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2009年2月の5冊


 

 

『喪失と獲得 : 進化心理学から見た心と体』 [請求記号:140//905]

ニコラス・ハンフリー著 紀伊國屋書店 2004年

 私が専門とする心理学の世界では、1990年代半ばに「文化心理学」と「進化心理学」というまったく新しい研究領域が生まれました。前者はテストや実験を主なる方法として用いる現在の心理学を批判し、数量的な比較よりも特定の文化的文脈の中での人間行動の厚い質的記述を重視しようとする心理学で、日本の研究者にも多大の影響を与えて今日に及んでいます。これに対して、後者は人間の心的機能の発生的起源を進化論の原理に基づいて問い直し明らかにしようとする心理学で、動物行動学(とりわけ霊長類研究)、遺伝学、脳科学、考古学などとの活発な研究交流によって急速な発展を遂げています。つまり、21世紀に入ってからの心理学の世界では、「人文学への回帰」と「いっそうの自然科学化」という一見相反する二方向の流れが同時進行しており、今後これらがもっと大きなパラダイム転換に繋がっていく可能性も否定できません。
 そうした混沌と豊穣の時代の現代心理学の世界をちょっと覗いてみたいという人々に、私はニコラス・ハンフリーの『喪失と獲得』を勧めたいと思います。この本は、副題を見てわかるように、上記二つの流れの一つ、「進化心理学」において今熱く議論されている諸テーマを、一般の読者にも分かりやすく、かつ著者自身の深い洞察を交えて論じた本です。ここではその一例を紹介してみましょう。
 社会性とコミュニケーションの障害、それに言語発達遅滞が加わった自閉症については、今では誰もが耳にしたことがあるはずです。この自閉症の人たちの中には、ときどき驚くべき能力を発揮する人たちがいます。100年前の何月何日の曜日をすぐ答えることができたり、9000冊の本を丸暗記し暗唱することができたり、こうした事例は世界各地で報告され、サヴァン症候群と名付けられてきました。とりわけ子どもでは、ナディアという女の子の例が有名です。この子は重度の発達遅滞で、6歳になっても言葉を発することができませんでした。ところが、3歳のときから並はずれた描画の才能を発揮しはじめ、5歳のときには驚くべき写真的正確さで躍動感あふれる動物や人間の絵を描くことができました。どのような絵かご覧になりたい人は、以下のアメリカの科学雑誌『Discover』のサイトに公開されていますので(http://www.centreforthemind.com/publications/Discover2002.pdf)、覘いてみてください。『喪失と獲得』の中で、ハンフリーはこのナディアの絵が人類初期の洞窟絵画と似ていることに注目し、両方の謎に迫ろうとします。ナディアは幼くしてなぜこのような絵を描き得たのか?洞窟絵画は現生人類がその初期から優れた芸術的素養をもっていた証拠なのか?この2つの問いに、ハンフリーは私たちの常識に反する仮説によって答えようとします。答えの鍵はナディアの5歳以後の発達にありました。8歳を過ぎてからナディアは、周囲の教育的努力の結果、わずかばかり言葉が話せるようになりました。それとともに、ナディアの描画能力は劇的に後退していきます。「彼女の才能の部分的な喪失が、言語の獲得のために支払わなければならない代価で」あったのです。つまり、ナディアは、シンボルや概念や言語というフィルターを通して世界をとらえる以前の、生の視覚的・感覚的世界に生きていたからこそ、優れた画像的記憶力を保持することができ、それは言語の獲得とともに失われることになったのでした。ハンフリーは旧石器時代の人類も同じであったろうと推論します。洞窟絵画は、人類が言語によって世界を二重化してとらえることができるようになる直前の一瞬の花火のようなものだったのかもしれません。
 人類の発展や個人の成長を一直線の拡大路線で捉えるのではなく、「獲得の裏側には常に取り返しのつかない喪失がある」とするハンフリーのような変化の見方は、とても重要であるように思われます。それが真実であるとすれば、私たちはもっと失うものを哀惜しつつ成長することを学ばねばなりません。このことは心理学の発達の問題を越えて、生態系の変化や社会進歩、経済成長などのあらゆる変化の問題に当てはまるような気がします。

 最近の進化心理学には根拠の薄いいかがわしい主張も見られますが注1、鋭い洞察に満ちた優れた本も多く出版されるようになっています。ヤーデンフォシュ『ヒトはいかにして知恵者 (サピエンス) となったのか : 思考の進化論』(研究社)は、そのような本の1冊です。また、比較認知科学の立場から書かれたトマセロ『心とことばの起源を探る』(勁草書房)は、発達心理学に最も大きな影響を与えつつある本です。どちらもお奨めです。

注1 Buller, D.J. Four fallacies of pop evolutionary psychology. Scientific American, January 2009, p.60-67.

(学術情報センター長 加藤義信(文学部児童教育学科))

 

『パラダイス鎖国 : 忘れられた大国・日本』 [請求記号:302.1/Ka21]

海部美知著 アスキー 2008年

 米国芸術基金の2009年1月の報告書(“Reading on the Rise: A New Chapter in American Literacy”,National Endowment for the Arts. January 2009.原文はhttp://www.arts.gov/research/ReadingonRise.pdfで読むことができます)によると,米国の成人が文学作品を読む割合が過去25年間下降していたのが,2008年に上昇に転じたとあります.具体的には,2002年には46.7%だった読む割合が,2008年には50.2%となりました.中でも18-24の年齢層の読書率が10%近く伸びています.この年齢層は先輩達より本を読んでいるわけです.年配の方から言われる例の“近頃の若い人は本を読まない”ではなく,“昔の若い人は本を読んでいなかった”という時代が来るかもしれません.この報告書の表紙裏(Ⅱページ目)には“Today a reader, tomorrow a leader.”─Margaret Fullerと書いてあります.今日の読者,明日のリーダーと言うわけです.確かにリーダーたる人,読書を習慣にしている人が多いと思います.
 さて,我が国の状況を調べてみましょう.文献[1]の2005年の調査結果によると,週一日当たりの各マスメディアの行為者率と時間量を表1になります. 2000年までの調査では「雑誌・マンガ」と「本」を分けていたのですが,2005年からは新聞以外の活字メディアとして「雑誌・マンガ・本」になりました.例えば,「新聞」というメディアに対して,一日当たり国民の44%が接触し,接触した人たちは一日当たり平均48分間読んでいます.「テレビ」はそれらの数字が90%と約4時間です.
 図書館の中心的メディアである活字メディアの週・男女年齢層別行為者率は表2にまとめます.新聞以外の活字メディアの行為者率は,10代が男女ともに最も高く,男性が31%,女性が35%となっています.雑誌・マンガ・本のうち,どのメディアにどんな割合で接触しているかはわかりませんが,接触率だけで比較すると,10代からみると“大人は接触していない?”と言われそうです.アンケートや調査結果を詳しくみると,実は思っていたことと,“いつの間にか傾向が変わった”と気がつくことがあります.国民生活白書も面白いです[2]. 今回紹介する本でも,日本人が,パラダイスのように住みやすい国内だけに目をむけていたため,“いつの間にか鎖国化しているのではないか”と問いかけています. また,文献[3]でも,日本の製造業について,“いつの間にかガラパゴス諸島の生物と同じような状況になり,世界の進化から取り残されたのではないか”と問いかけています.皆さんは,パラダイスやガラパゴスと表現されている状況をどう感じますか.

表1:各メディアの行為者率(%)と時間量(時間:分)

行為者率 行為者平均時間
テレビ 90 4:02
ラジオ 14 2:30
新聞 44 0:48
雑誌・マンガ・本 19 1:13
CD・MD・テープ 10 1:41
ビデオ 9 1:43
インターネット 13 1:49

表2:活字メディアの行為者率(%)(週・男女年齢層別)
年齢層 10代 20代 30代 40代 50代 60代 70歳以上
新聞(男:女) 8:7 19:17 29:30 41:49 57:59 72:62 72:52
雑誌・マンガ・本(男:女) 31:35 19:22 15:21 15:22 14:19 16:15 18:11

[1]NHK放送文化研究所編集,『日本人の生活時間 : NHK国民生活時間調査〈2005〉』,日本放送出版協会,2006.
[2]総務省国民生活白書:http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/index.html
[3] 宮崎智彦,『ガラパゴス化する日本の製造業』,東洋経済新聞社,2008.

(学術情報センター長補佐 奥田隆史(情報科学部地域情報科学科))

 

『大聖堂のコスモロジー : 中世の聖なる空間を読む』 [請求記号:523.04/U63]

馬杉宗夫著 講談社 (講談社現代新書) 1992年

 狭い旧市街に尖塔が聳え立つゴシック様式の大聖堂。思わず見上げてしまうその外観に圧倒されますが、正面扉口から一歩中に足を踏み入れると、今度は、想像していた以上に巨大な内部空間やステンドグラスの多彩な光に目を奪われます。この空間には、一体どのような意味があるのでしょうか。本書では、ヨーロッパ中世美術史を専門とする著者が、大聖堂に代表されるさまざまな教会堂建築を取り上げ、その形態や空間構成、装飾(絵画、彫刻)などに込められた意味や象徴性を探り出していきます。絵画や彫刻といった表現よりも、それらのもととなる教会堂自身の象徴的側面を先にとらえようとするのが、従来の多くの研究に欠けていた著者独自の視点であり、この本の面白さでもあります。
 教会堂とは、キリスト教の信者を集め、そこでミサや説教をするための空間を持った建物のことです。その起源は、313年にローマ帝国でキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝が各地に寄進した聖堂にありますが、当初から、「バシリカ形式」と「集中式」という形態や空間構成を異にする二つの類型が存在しました。著者によれば、いずれの類型も、矩形と円形という二つの要素で成り立っており、これらの要素を、水平的方向性をもつプラン(平面図)に反映させたのがバシリカ形式で、このプランを垂直的方向に変え、立方体(身廊)の上に半球形(円蓋)または半円形(穹窿)を乗せたのが集中式です。
 このとらえ方−「教会堂建築は矩形と円形で成り立っている」−は、この単純な関係で前述の二つの類型を一度に説明できますし、そもそも「矩形と円形のそれぞれは何を象徴しているのか」という根本的な問題も含め、自分にとって新鮮な発見でした。このほかにも、「洗礼堂に八角形が多いのはなぜか」、「バシリカ形式に十字の枝が付け加わったラテン十字形のプランは何を象徴しているのか」、「ラテン十字形の教会堂では、西側に入口があり、東側に祭壇のある内陣が置かれることが多いのはなぜか」など、多くの問題に興味をそそられます。
 中世ヨーロッパにおいて精神界をリードしていた修道院は、11〜12世紀頃に、それまでの木造天井による聖堂を、「神の国」にふさわしい堅固な構造体に変え、その正面扉口に「天国の門」にふさわしい、新約聖書をモチーフとした彫刻装飾を施すようになります。最初の汎ヨーロッパ的大様式と言われるロマネスク建築の誕生です。石組による重い天井の重圧力は、分厚く、開口部の少ない壁面を必要としますが、このことが、一般にイメージされるロマネスク教会独特の薄暗く瞑想的な空間を生み出したようです。
 当初、最大勢力を誇ったクリュニー修道院は、巨大で豪華な装飾を施した聖堂を各地に建てますが、やがてクリュニーを凌ぐ勢力を持つようになるシトー修道院がこれを批判し、対照的に質素で素朴な聖堂を築いていきます。これら両派の美意識については、それぞれの現存する代表例であるヴェズレーのサント・マドレーヌ聖堂とフォントネー修道院聖堂に対する著者のつぶさな観察によって具体的に示されます。ともにフランスのブルゴーニュ地方にあり、ユネスコ世界遺産に登録されるほどの貴重な文化財でもありますが、とくにフォントネー修道院についての、あたかも現地で順路に沿って見ていくような解説からは、シトー派の美意識が反映された修道院の峻厳なたたずまいが伝わってきます。
 しかしながら、次代のゴシックに大きく結びついていくのは、巨大さ、高さ、豪華さを追求したクリュニー派の美意識だったようです。ベースとしてのロマネスク建築に、高さへの志向と光への願望を実現するためのいくつかの技術的要素が重なり、それを骨組みの構造体へと変えることで、ついに、ゴシック大聖堂を特徴づける巨大な内部空間や壁面の窓への開放によるステンドグラスが可能になったことが説き明かされます。
 ゴシック大聖堂の多くが聖母マリア(フランス語でノートル・ダム)に捧げられているように、12世紀頃からヨーロッパで高まった聖母マリア崇拝も、大聖堂を飾るステンドグラスや彫刻などのモチーフに反映されるようになりました。ここで、著者が、「聖母マリアの宮殿」として熱いまなざしを注ぎつつ頻繁に引用するのがシャルトル大聖堂ですが、確かにこの大聖堂の気品に満ちた美しさは、本書のカバーにある小さな写真からも十分に伝わってきます。ところで、シャルトルを含め、多くの大聖堂の床に表現されていた迷宮。「なぜ?」と思わせる一見不思議な迷宮たちは一体何を意味していたのでしょうか。
 私自身、ずいぶん前に、パリからスペイン北西部にある聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラまで、途中のロマネスクやゴシックを訪ねる旅をしたことがありますが、その道中で重宝したのがこの本でした。現地へのアクセスや途中の風景についての、迫っていくようなリアルな描写も、遠い異国の、多くは不便なところにある教会堂を身近に感じさせてくれます。教会堂建築に興味のある方にはもちろん、ヨーロッパへの旅行や留学などの機会にそれらを巡る際の手軽で良質なガイドブックとしても、お薦めできる1冊です。

(学術情報センター図書館 笹野)

 

『特盛!SF翻訳講座 : 翻訳のウラ技、業界のウラ話』 [請求記号:901.3/O63]

大森望著 研究社 2006年

 この本は翻訳家、書評家として活躍されている大森望氏のエッセイで、1989年から1985年ぐらいまでにSF雑誌などで連載されていたコラムから「翻訳入門」、「実践的SF翻訳講座・裏ワザ編」、「SF翻訳者の生活と意見」の3部構成に合わせて選出、加筆修正し、再編集されたものです。
 筆者自身も「タイトルに反して講座になっていない」と書いているように、翻訳のノウハウそのものだけを書き並べたような本ではありません。SFの翻訳を主な題材として、人称代名詞の省略、漢字の削減、正しい改行など翻訳の技術やコツについての話も書かれていますが、それだけでなく翻訳権の仕組や超訳の問題など翻訳、出版にまつわるウラ話、そして筆者が翻訳家になるまでの過程や、翻訳家としての収入やその生活、確定申告の傾向と対策までがおもしろ楽しく書かれ、翻訳家という職業を知るには盛り沢山の内容となっています。
 私が読んで特に印象に残ったのは、日本語文章の書き方について力説されているところでした。翻訳とは"英語を使うお仕事"という印象がありますが、よくよく考えると、その実は"日本語の文章を書く仕事"です。翻訳家には一定以上の英語能力が必要とされるのは当然のことですが、原文の雰囲気に合わせて多種多様な日本語の演出や文体を使えるようになるために、日頃からジャンルを問わずにありとあらゆる日本人が日本語で書いた小説や読み物を読んで、小説家以上に努力して文章修行をする必要があるのだそうです。
 中には今となっては単なる昔話という古い内容もありますが、翻訳家という職業に興味のある人には、その技術やコツだけでなく、翻訳家にいたる道やその生活を知ることで、翻訳という職業の本質を理解し、心得を知る助けになると思います。またSF小説ファンには、名作と言われる幾つかの翻訳SF小説の翻訳事例がいろいろと詳しく解説されており、トリビアな感じで非常に楽しめると思います。私もこれを機に久しぶりに古い本を本棚から引っ張り出して新たな視点を持って翻訳書と原書を読み直したいと思いました。

著者のWebページ
nozomi Ohmori SF page (since Mar.31 1995)

(学術情報センター大学連携チーム 落合)

 

『市役所の小川さん、哲学者になる 転身力』 [請求記号:159/O24]

小川仁志著 海竜社 2008年

 この本はすこし県大に関係があります。愛知県立大の名前が登場するのです(それは読んでのお楽しみ)。この本は、著者のサクセス・ストーリーと、成功出来たノウハウの公開のようなものが書かれています。その中で、県大と関わりのあった人物の名が登場するのです(それも読んでのお楽しみ)。
 この本はつい最近出版されたばかりであり(H20年11月)、中日新聞に紹介された、それも宣伝ではなく記事として(H20年12月8日朝刊)。なぜかというと、この本のタイトルにある市役所とは、名古屋市役所のことで、そしてこのタイトルからも判るように、少し変わった人生を歩んだ人が書いた本、その出版を記念して丸善で催しが開かれ、だからニュースになった、それで記事になったという訳です。さっそくこの本の中で言及されている県大関連者にメールして通知しました。
 実は私は、その人物から、この著者の名“小川さん”を聞いて知っていました。しかし、小川さんが本を書いてそれが記事になるなんて想像もしていませんでした。だからこの記事をネットで見つけたとき、びっくりしました。それでさっそくその人物にメールした次第というのが順序でした。
 このことを書きたくて推薦するのではありません。やはり、この異色の人生を歩んでいるこの著者が、どのようにして、そのサクセス・ストーリーを実現できたのか、それに大きな関心をもって、自分の参考にしたかったからです。
 そして、これはやはり、県大生にもぜひ読んでもらいたい、何にもまして県大の名が出てくるのだから、俄然身近に感じられもして多いに参考になるはずだから、と思ってのことです。
 「哲学者」が書いた本なので、何か取っ付き難そうな印象があるかもしれませんが、全くそんなことはなく、あっという間に読めてしまう判り易い内容です。そこに書かれている提言は、きっと県大生の皆さんに何らかの参考になるに違いないと私は思います。(残念ながら、自分にはもうこの力は無いように思われましたが、しかし数年後にはこの力がないといけない身分なのです。…もし私が本を書くと『契約職員のKさん、浮浪者になる』って(誰が読む!?!)ことにならないように……)

(学術情報センター利用案内室 河合)