[2009.11.1更新]

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2009年11月の5冊


 

 

『ゼロ年代の想像力』 [請求記号:361.5/U77]

宇野常寛著 早川書房 2008年

 金木犀の香りが一瞬にして行き過ぎ、大学祭の季節を迎え、いよいよ初冬の趣へと変わってゆきますね。時の流れはいつも、私たちに変わりゆくもの、ゆかないものへの思いを立ちのぼらせます。
 「ゼロ年代」と呼ばれる時代に入ってもうすぐ10年。本書はその8年目に若い書き手によって上梓されました。90年代批評の先端を行っていた(はずの)東浩紀はもはやゼロ年代の批評に追いついていない、という挑発的な序段から始まります。80年代の行動するヒーロー、90年代の引きこもる彼ら、モノはあっても物語のない時代。それぞれの価値観を信じればよいのだとする東の提言に異を唱え、90年代の「終わりなき日常」から、宮藤官九郎らの描く「終わりのある」世界へ、そこでのユートピアのあり方に目をこらします。
 かつて岡崎京子らが描いた「終わりなき日常」は「死」が外部世界として設定されていたのに対し、ゼロ年代の宮藤らの設定は、「木更津キャッツアイ」の主人公ぶっさんが、末期がん患者であるところからスタートするように、すべて物事には終わりがあるのだという認識に裏打ちされていると指摘します。終わりなき退屈な日常は、有限を意識するところから物語をみずから生み出してゆく動態へと変化する、そこに、著者は世界の拓かれ方、あらたなコミュニケーションのあり方を見ます。このあたりはすでにふれた、映画「おくりびと」や、内田樹氏の「弔いの思想」(「今月の5冊」2009年7月)とも響き合いますね。
 文言の繰り返しがやや多く、「転向」という語の安易な言い回し方、「死んだ」というアニメからの影響を直截に受けた比喩表現など、著者の戦略なのか、我知らずにじみ出る時代の用語であるのか、いささかナルシスティックな文体とともに気になるところもないではないですが、閉塞を拓いてゆこうとする意気に共感します。

(学術情報センター長 宮崎真素美(日本文化学部国語国文学科))

 

『わくわくする数学 : 日常生活の中に見つける美と驚きの世界』 [請求記号:410.79/E11]

ロブ・イースタウェイ著 岩谷宏訳 ソフトバンククリエイティブ 2009年

 日常生活の話題やパズルを使った数学への入門書ですが、「中学生でも読める」という謳い文句ですので、難しい数式は出てきません。ルイス・キャロル(*)を輩出した国、イギリス出身の著者の作だけあって、随所にちょっとしたユーモアが仕込まれていて、数学が苦手な人でも、楽しんで読むことができます。この本に盛り込まれた数学の内容は情報数学の基礎となるものが多く、情報科学を専門とする皆さんにとっても新しい発見のきっかけとなることでしょう。
 英語または数学が得意の方は、原作How Many Socks Make a Pair? ― Surprisingly Interesting Everyday Maths (JR Books Ltd.) を読んでみてはいかがでしょうか。そういえば、英語の題名がこの本の最初のパズルになっています。『たんすの引き出しに5種類の靴下が何足ずつか(1足ずつの組でなく)ばらばらに入っている。引き出しの中を見ずに靴下を取り出すとき、ちゃんとした1足を得るためには、最低何本とればよいか。』答えと続きは本で読んでください。

(*) 不思議の国のアリスの作者のルイス・キャロルは、数学者でもあります。キャロルの作による「もつれっ話」 (ちくま文庫、絶版)は、小説の形をとった数学の問題ですが、問題の内容もさることながら、文章としてもケッサクです。

(学術情報センター長補佐 太田淳(情報科学部情報科学科))

 

『裏日本 : 近代日本を問いなおす』 [請求記号:080/522/19B]

古厩忠夫著 岩波書店(岩波新書) 1997年

 タイトルの「裏日本」とは、北陸から山陰にかけての日本海側を指します。差別的表現との理由から、今ではこの呼称がマスコミ等で使用されることはありませんが、冒頭の「ナホトカ号」事件や信濃川の水に関するエピソードに見るように、実態としての「裏日本」は根強く定着しているようです。
 では「裏日本」という呼称が使用されるようになったのはいつ頃からでしょうか。これと表裏一体の関係にある「表日本」(=太平洋側)という言葉がすぐに思い浮びますが、著者が問題として提起するように、日本海側に、「表」に対する従属性を匂わせる「裏」という呼称が与えられてしまったのはなぜでしょうか。本書では、中国近現代史を専門とする著者がフィールドを日本に移し、日本海側が「裏日本」化されるプロセスを説き明かしていきます。
 著者は、そもそも近代以前の日本には、「裏日本」という概念や意識が存在しなかったと言います。それは、日本海が、北前船に代表される活発な海運の表舞台として、沿岸部の経済を潤していた時代でもありました。
 この様相が一変する時期として著者が注目するのは19世紀末です。近代化を象徴する鉄道が太平洋側を中心に敷設され、金沢をはじめとする日本海側の主要都市が徐々に人口ランキングを低下させるなど、著者が主張する「日本海側のヒト・モノ・カネが太平洋側に移転されるシステム」が目に見える形で表れ始めます。当初、自然地理学用語として造られた「裏日本」が社会的格差を含む概念へと変化したのもこの頃だったようです。
 本書は、耳にしなくなって久しい言葉とはいえ、いまだにリアリティを感じさせる「裏日本」という視点から、経済効率至上主義や中央集権的分業・国土計画などによって特徴づけられる日本の近代化を問い直す試みです。コンパクトなサイズながら、スケールの大きい歴史研究を味わえる一冊だと思います。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 笹野)

 

『ちひろ美術館物語』 [請求記号:726//148]

松本由理子著 講談社 1994年

 いわさきちひろは生涯を通してこどもの絵を描き続けた画家です。ちひろの死後3年目 (1977年)に自宅である東京都練馬区に「ちひろ美術館」(現在は「ちひろ美術館・東京」) が誕生しました。どんなに小さな空間でも、そこに行けばちひろの絵に会える場所が欲しいという人々の願いに押されて、ちひろの一人息子である松本猛氏と妻の由理子さんが美術館建設に踏み切りました。その当時、二人はまだ20代半ばの若さでした。住宅街の中に私立美術館を造ることに伴う建築申請に始まり、莫大な量の原書の整理、展示の企画、本の出版、美術館増築・・・ほとんど手探りでがむしゃらに進んできた20年の回想が綴られています。著者である由理子さんの「人の心をやさしく包み込み、明日を生きる勇気を与えてくれるちひろの絵がどのような人生から生まれたのか、一人でも多くの人に知ってもらいたかった。私はちひろの語り部になろうと心に決めた」という言葉に、義理の母ちひろと美術館への暖かい想いが凝縮されていると感じます。
 現在では、信州にある「安曇野ちひろ美術館」がよく知られていますが、当館の書架にも「いわさきちひろ画集」、「ちひろのパレット : 母の絵を語る」 など、ちひろの残したこどもたちに出会える本が置かれています。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 西脇)

 

『文盲 : アゴタ・クリストフ自伝』 [請求記号:950.278/Kr5]

アゴタ・クリストフ著 白水社 2006年

 「わたしは読む。病気のようなものだ。手当たりしだい、目にとまるものは何でも読む。」
活字中毒とも取れるこの出だしに、いきなりノックアウトされます。言語に魅了された人生がわずか100ページほどに凝縮されていることに驚きつつ、短い章から著者の行路を顧みると、読み書きがいかに何ものにも代えがたいものであったのか推し量ることができます。
 著者は、ハンガリー動乱の際、スイス(フランス語圏)に亡命したため言語習得が死活問題でした。時計工場で働きながら言葉を学び、ベストセラー[1]作家となりました。その独創的な文体から注目を浴び、作品は世界各国に翻訳されたことは周知の事実です。
 幼い頃から慣れ親しんだ母語を手放し、新しい敵語を受け入れる(著者に言わせると「引き受ける」)ことは、運命に翻弄されたかのようですが、実は、課せられた使命だったように思えてなりません。自身も、「そう、ひとりの文盲者の挑戦なのだ。」と綴っています。
 新しい言葉を引き受けた文章からは、凛とした生きざまを汲み取ることができます。その行間に宿るものを察しつつ、貴方の感性でゆっくり紐解いてください。シンプルな構成ながら、茫洋たる空気感に包まれることでしょう。

[1]世界的ベストセラー:三部作『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘

(学術情報センター大学連携チーム 坂元)