[2010.10.1更新]

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2010年9月の5冊


 

 

『ボン書店の幻 : モダニズム出版社の光と影』 [請求記号:請求記号:023.067/U13]※旧共同図書環

内堀弘著 筑摩書房(ちくま文庫) 2008年

 名残の暑さのうちに夏が逝きます。人も、季節と同じように、いつの間にか消え入ってしまうことがあるのでしょうか。
 「ボン書店」という印象的な響きを持つ出版社は、瀟洒な35冊の詩書を美しい痕跡にして、すっと姿を消してしまいました。1930年代のことです。東京池袋の、深い欅並木の傍らで、鳥羽茂(いかし)という青年社主は、ひとり芸術的な造本をなしては世に送り出し、モダニズム詩人やその読者を魅了していました。
 著者の言葉を借りれば、「ル・コルビジェの建築やエリック・サティの音楽に現われたシンプルでしかし洗練された感性」、それが、ボン書店の書物の個性でもありました。私自身も、これまでに、ボン書店の遺した詩集のいくつかを手に取る機会に恵まれています。作り手の震えるような繊細さと、すっぱりとした感覚の共鳴が伝わってくる性質のものです。
 そして、ボン書店にかかわり、そこから詩集を出版した詩人たちの中心には、愛知およびその周辺の詩人たちがいました。モダニズム詩の尖端をいった名古屋出身の春山行夫や山中散生、三重県出身の北園克衛や岩本修蔵、稲沢出身の佐藤一英ら、この地方は当代の燦めく個性を輩出し、ボン書店の周囲に集結させていたのです。けれども、彼らの前からすっと消えた「長髪のモダン・ボーイ」鳥羽茂の消息については、彼が亡くなったという事実以外、その来歴と行く先を捉えている者は誰もいませんでした。
 著者は追います。けれども、本書が最初に出版された1992年の段階では、やはりふっつりと鳥羽の足跡は途絶えてしまいます。ところがその10年後、本書の存在を知った鳥羽の実妹があらわれ、ついに著者は鳥羽の最期を看取った息子と会い、父子の静かで美しい、最後の生活のありさまを伝えられます。ようやくたどり着いた鳥羽の最期の場所。彼の遺した詩句の謎が解け、一本の梨の木が著者を迎えます。それは、妻に先立たれた若い父親が、同じ病で幼い息子を残してゆかなければならない運命の中で、「父親らしいこと」をした証でもありました。
 巻末の「文庫版のための少し長いあとがき」は、人知れず過ぎ去る季節のように消えた青年が、また、その巡りさながらに立ち現れてくるような幻惑にとらわれます。65年の時を経て著者の眼前に現れた梨の木は、ボン書店の遺した詩書の姿そのものであるのかも知れません。

(学術情報センター長 宮崎真素美(日本文化学部国語国文学科))

 

『ヤバい社会学 : 一日だけのギャング・リーダー』 [請求記号:368.2/V57]

スディール・ヴェンカテッシュ著 望月衛訳 東洋経済新報社 2009年

 なんだかあざといタイトルです(翻訳タイトルですが)。社会学を学ぶ大学院生の著者スディールは、そんな気軽な気分で「貧困を学ぶためには、やっぱり現場だよね!」とばかりに、危険とされていた黒人のスラムに乗り込み、案の定、ギャングに敵の手先と間違われてしまいます。そこに登場したボスは、意外なことに大学卒のインテリで、スディールに興味を持ち、スディールが自分たちと「つるむ」ことを許可したのでした。
 数年間にわたるスディールの体験談は、刺激的で、映画のような面白さです。が、この本が、いわゆる「突撃ルポ」「潜入ルポ」と一線を画しているのは、スディールの、あくまでも研究者の立場でギャングたちと関わろうとする姿勢によるものです。
 とはいえ、信頼を得るためにどこまで相手の懐に入り込むのか。どこで一線を引けばいいのか。若いスディールには誤りもありました。ギャングの研究をしたいと思っている人は県大にはあまりいないかもしれませんが、対象との接し方という観点からも(それが正しいかどうかはさておいて)興味深く読めるのではないでしょうか。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 新川)

 

『てん』 [請求記号:726.6/R29]

ピーター・レイノルズ著 谷川俊太郎訳 あすなろ書房 2004年

 小学校の時の図工の時間は考えている間に時が過ぎて、いつも完成できずに宿題になっていたのを覚えています。
 この絵本の主人公ワシテは、紙に何も描けないままお絵かきの時間が終わってしまいます。そして先生に「なにかしるしをつけてみて」と言われて、マーカーで力いっぱい"てん"を書いてサインをします。すると次の週、先生の机のところにワシテの絵が金色の額縁に入って飾ってあるのです。ワシテの驚きと喜びは、どれほどだったでしょう。さらにワシテは、もっと素敵な"てん"を描こうと次々に描いて…と話は続きます。
 ワシテのような小さい人の近くには、できないと思っていることをそうではないと気付かせたり、わくわくする気持ちを育んだりできる大人にいてほしいものです。そんな大人の一人、絵を描くことが難しくないと教えてくれるエド・エンバリーの『かお かけちゃうよ』もおすすめです。
 ところで、額縁というツールは絵や写真に魔法をかける力がある気がします。以前テレビの番組でエリック・カール(『はらぺこあおむし』の著者)のワークショップを見ましたが、子供たちと白い大きな額縁をもって外にでて、いろんなもの(芝生や壁や友達など)額縁をあてていました。額縁で切り取ると素人にもあらゆるものが芸術に見えてくるから不思議です。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 平田)

 

『広い宇宙に地球人しか見当たらない50の理由 : フェルミのパラドックス』 [請求記号:440//221]

スティーヴン・ウェッブ著 松浦俊輔訳 青土社 2004年

 「フェルミのパラドックス」という言葉を聞いたことがありますか?
 「フェルミ推定(問題)」という言葉は、一部の企業の入社試験で取り上げられたことがあるので、ご存じの学生の方もいらっしゃるでしょう(本書でも例題が紹介されています)。
 いずれの言葉も、物理学者エンリコ・フェルミ[1901〜1954]の名前に由来します。本書タイトルにある「フェルミのパラドックス」とは、「宇宙にある地球以外の文明の数を推定すると、そこそこの数になるはずなのに、現実には宇宙人がいる証拠が見つかっていない。では宇宙人はどこにいるのか?」という逆説のことです。一見してクイズのようですが、1950年にフェルミがこの「問い」をもたらしてから現在に至るまで、実にさまざまな人々が物理学、数学、生物学、哲学などの理論を用いてこのパラドックスを説明しようとしてきました。なかには映画『メン・イン・ブラック』に出てくるような仮説も混じっていますが、熱く真剣な議論が繰り広げられてきたようです。
 本書では、これらの議論を「宇宙人は実は来ている」、「宇宙人は存在するがまだ連絡がない」、「宇宙人は存在しない」という3つの立場に分類して解説・批評したものです。どの仮説も、単純に宇宙人の存在を信じるかどうかにとどまらず、それぞれの仮説を説明するに至るプロセスに面白みがあります。
 さまざまな分野の話題に触れていますので、本書を手がかりにちょっと背伸びをして各分野の専門書に手を伸ばしてもよいですし、取り上げられている仮説を扱っているSF小説や映画を探してみるのも楽しそうです。みなさんそれぞれの読み方ができる本ではないかと思います。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 福田)

 

『プリンシプルのない日本』 [請求記号:請求記号:304/Sh85]※旧共同図書環

白洲次郎著 新潮社(新潮文庫) 2006年

白洲次郎の日本国憲法 鶴見紘著 光文社 共同図書環289.1/Ts85
占領を背負った男 上下 講談社 共同図書環289.1/Ki/1 289.1/Ki/2
風の男白洲次郎 青柳恵介著 新潮社 [請求記号:守山, 289.1/A57]※旧共同図書環

 白洲次郎は、アジア太平洋戦争で日本敗戦後、当時の吉田茂外相の要請を受け終戦連絡事務局参与となり、GHQ(連合国総司令部)との交渉にあたり、その背景事情を知る人物として注目されています。
 これらの図書には、日本国憲法に国民主権や人権尊重、平和主義の内容が制定された当時の歴史的状況、国際的状況、背景、日本国民の世論、運動などを全体的に理解する上で興味深いエピソードがところどころに登場します。
 憲法改正が叫ばれている今日、「戦争放棄の平和憲法を捨てて、今、なぜ憲法改正が必要なのか。」憲法成立に深くかかわった白洲次郎を通して、憲法の原点と、各条文の本来の意図を汲み取ってみてはどうでしょうか。
 日本国憲法はアメリカに押し付けられたものであるから「新憲法」をつくろう、ということではありません。アメリカが日本国憲法制定直後からそれを「改正」させたいと考え始め、今日も様々なかたちでそれを追求している中、これらの図書を通じて学び考えてはいかがでしょうか。

(学術情報センター大学連携チーム 大仲)