[2010.11.1更新]

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2010年10月の5冊


 

 

『独酌余滴』 [請求記号:914.6/Ta16]

多田富雄著 朝日新聞出版(朝日文庫) 2006年

《長い闇の向こうに、何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっています。》

 今年4月に亡くなった本書の著者、多田富雄の遺した言葉です。著者は免疫学者であり、新作能の作者、また、室生犀星や萩原朔太郎らと交流のあった詩人多田不二を大叔父にもつ詩人でもありました。
 ここで言われている《寛容》とは、免疫学の専門用語《免疫寛容》の概念を元にしています。免疫のはたらきのうちには、異物に対しても排除をせずに《共存》をするという場合があります。著者はこの概念を免疫学から広く一般事象に敷衍して物事を捉えようとしてきました。
 本書には、「独酌余滴」、「去年の手帳」、「生命の風景」、「ときの記憶」と題した4章に84篇の文章が収められており、読む者の心の奥底をキュッとつまんでみせる魅力的な文体にのせて、驚くほど多彩な世界が拡げられています。なかで、冒頭の言葉と響き合うのが「共生と共死」と名づけられた文章です。生物学で定義される《共生》には、異種の生物が互いに利益を得る《相利共生》のほか、一方だけが利益を得る《単利共生》や《寄生》のあることにふれ、人間の求めるそれが《単利共生》の延長となる可能性を危惧しています。そして、「「共生」した生命は、片方が死ねばもう片方も必然的に死ぬという運命まで共有している」こと、「「共生」というとき、そこに本当に「共死」の覚悟までふくまれているかどうかを自問する必要がある」ことを示しています。
 私たちの周囲で《共生》が強く求められていること、それは、とりもなおさず、そのことの難しさを照らし出してもいます。この難しさのさまざまを見つめながら、《共生》の希求される道程を考えてみようと、この秋、関連展示を企画しました。
 『諍(いさか)いの横顔〜共生への道のり』と題し、今月19日から長久手キャンパス図書館ではじめます。佐々木学長と各学部の先生方の6名によって、多様な学問領域から、いろいろな光を当てていただきます。それぞれの先生がパネルを作成し、展示図書を選んでくださいました。6つの個性的な思考の場が登場します。ぜひ、お運びください。

(学術情報センター長 宮崎真素美(日本文化学部国語国文学科))

 

『「私」時代のデモクラシー』 [請求記号:080/I95B/1240]

宇野重規著 岩波書店(岩波新書) 2010年

 私たちが生きているのは新しい「平等化」の時代であると定義したら、みなさんはどのように感じられるでしょうか?
 本書は、フランスの政治理論家アレクシ・ドゥ・トクヴィル(1805-1859)の研究者である著者が、上述のような独自の時代認識に基づいて現代日本社会を分析した最新の著作です。トクヴィルは19世紀前半にアメリカを視察旅行し、米仏の政治社会比較論を展開した人物ですが、著者はとくにトクヴィル独特の平等論に注目します(著者の概説書『トクヴィル 平等と不平等の理論家』もオススメです)。すなわち、市民革命以前の身分制社会では、不平等が自明視されていたが、トクヴィルが生きた19世紀になると、一人ひとりの個人=〈(わたし)〉が平等を意識するようになるというのです(「平等化」の時代の到来)。
 さらに21世紀になると、〈私〉の平等意識がますます鋭敏化する一方で、不平等(格差問題)をはじめとする本来社会的な問題があたかもパーソナルな問題(失敗は各自の自己責任だ)として認識され、一人ひとりの個人の未来へ向けた不安や不満が個別化・断片化しているといいます。このいわば「不満の私事化」が、政治のあり方に大きな影響を与えます。というのも、本来政治とは人々の不満を集約し、社会変革の力にする営みですが、いまやそれらの不満を「民意」という一つの意志に集約することが極めて困難になっているからです。
 この点について著者は、「個別化し断片化した声をくみ上げ、そこに共通の地平を築くような、より高度な感度をもったデモクラシーがいま求められて」(92頁)いると述べています。このような「〈私〉時代のデモクラシー」は、いかにして実現可能なものとなるか。是非みなさんも、本書を読んで、じっくり考えてみて下さい。

(学術情報センター長補佐 中田晋自(外国語学部ヨーロッパ学科フランス語圏専攻))

 

『八月十五日の神話 : 終戦記念日のメディア学』 [請求記号:080/C44/544]

佐藤卓己著 筑摩書房(ちくま新書) 2005年

 10月にあえてこの書名を紹介することに含意はありませんが、8月は毎年1度かならず巡り来るということ、それから「終戦記念日」を相対的に考えようとしている本書を読むとすれば、むしろ8月でない方が適当なのかもしれません。
 本書は、8月15日が「終戦記念日」とされていることについて、それが比較的多数の日本人にとっては疑義を挿し挟むまでもない自明の事柄となっているけれども、しかしいっぽうで戦争・戦闘は実際には8月15日に終わった訳ではないという事実との不整合に着目しています。
 メディア史を専門とする著者は、昭和20年8月15日は「玉音放送」がラジオ放送された日であることから出発して、当日や翌日以降の新聞やラジオの報道(とくに「玉音写真」)、戦後における終戦関連報道、お盆ラジオ放送、小中高および各国の歴史教科書における記述、などさまざまな素材を用いて、これらを詳細に分析して注意深く読み解いていくことにより、私達がそれと気付かぬままに受け容れている事柄が、必ずしも事実とは限らない、ということを追究していきます(たとえば、「玉音報道」の不確かさ、昭和20年8月15日に起きた出来事の記憶、戦争終結の期日の国内外や国内各地での差異、など)。とくに第三章「自明な記憶から曖昧な歴史へ」において内外の教科書記述を長期的に検討し、いくつもの"ありうる"日付を時代の流れやイデオロギー対立などを踏まえて考察し、昭和20年8月15日を神話ではなく相対化するにはどうすべきかについて追究していくプロセスは、専門外の読者にとっても研究手法の参考にもなると思います。
 なお、本書を契機として東アジア各地の角度から「終戦記念日」を考察する共同研究が行われ、その成果が同じ叢書から刊行されています[1]。また、これら2書を資料面からまとめた文献も刊行されました[2]。併読することにより、このテーマに関する理解が深まると思います。


[1]佐藤卓己・孫安石編『東アジアの終戦記念日 敗北と勝利のあいだ』筑摩書房2007.07(ちくま新書669)
[2]川島真・貴志俊彦編『資料で読む世界の8月15日』山川出版社2008.07

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 鋤柄)

 

『伊達政宗の手紙』 [請求記号:080/364/18]

佐藤憲一著 新潮社(新潮選書) 1995年

 就職活動中の大学生の妹が、先日、インターンシップ終了後にお礼の手紙を書いていました。昨今の言葉の伝達方法は、メールでのやり取りが多く、文書もパソコンで作成されたものなので、趣を感じることは殆どありません。そのため、手書きで手紙を書いている様子は、とても新鮮に見えました。また、書き手の人柄や文書に込めた気持ちも伝わりやすいだろうと思います。
 そんな手書きの手紙は、歴史の資料としても数多く残されています。今回紹介するのは、戦国時代の武将の人物像と当時の時代背景を読み取れる一冊です。
 戦国時代の大名クラスの武将は、多くの場合、手紙を右筆(ゆうひつ)という専任秘書に代筆をさせるのが一般的でした。身内宛ての手紙だけは自筆で書いた武将もいましたが、伊達政宗の場合は、身内に限らず、大名や公家など対外的な相手でも、自筆の手紙を出していました。
 この本では、家臣や母親、子ども達に宛てた自筆の手紙を中心に紹介されています。「独眼竜」「遅れてきた英雄」など、戦国武将・戦国大名としての政宗の人生を取り扱った書籍から受けるイメージとは違い、小説などではあまり取り上げられない「父親」としての政宗を見ることもできます。家臣たちに宛てた手紙の中では、鷹狩りを話題にしているところがあり、主君であるのに、家臣の大鷹欲しさに必死に懇願している文章は、思い掛けず微笑んでしまいました。また、仙台藩主として、家臣に事細かな指示を出した手紙も残っています。そういった場面では、几帳面で心配りに長けている性格が読み取れます。
 このように、歴史書では読み取ることのできない「手紙」の面白さを味わってみてはいかがでしょうか。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 古屋)

 

『ソーネチカ』 [請求記号:共同図書環983/U61]

リュドミラ・ウリツカヤ著 沼野恭子訳 新潮社 2002年

 本書はソーネチカ(ソーニャ)というロシア人女性の一生を淡々と綴った一冊です。モーパッサンの作品になぞらえて、ロシア版「女の一生」とも評されたりしています。
 ソーネチカは、小さな頃から本を読むことが大好きな少女でした。容貌のぱっとしない彼女は失恋したことをきっかけに、さらに本へとのめり込んでいきます。さまざまな人生を想像し、空想とも現実ともつかない虚構を作りあげていくソーネチカ。繰り広げられる想像はパラレルワールドのようで、その世界に心から満足していたのでした。やがて彼女も大人になり図書館で働くようになります。そして、運命的に出会った芸術家と結婚、一女をもうけますが、穏やかな人生におとずれた、ある出来事をきっかけに物語は急展開してゆくのです。
 つつましく質素な生活が胸に響きます。ソーネチカは日々の生活に追われ、いつしか本を読むことからも遠ざかっていきますが、それでもなお彼女の根幹として本を愛でる気持ちは消えません。とても辛い出来事が起こった時、好きな本のある一行を開き静かな幸福感に包まれます。ごく個人的で、ささやかな楽しみ。読了後、しびれるような感覚と共に彼女のたくましさがジワジワと私の中にも膨らんできました。
 本を読んでいる最中に感動し、「ムムムッ」とうなってしまうような感覚に陥ることがありますが、本書はその読後、数日経った頃にそんな現象が現れます。自分でストーリーを何度も咀嚼することによって生まれる不思議な感覚。愛のかたちはさまざまです。このアンテナをもって、ぜひ貴方もソーネチカと向き合ってください。ある冬の寒い日、雪に覆われた森に立つ少女の姿とともに、この物語を思い出すことでしょう。

(学術情報センター大学連携チーム 坂元)