[2011.2.1更新]

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2011年2月の5冊


 

 

『本は(モノ)である : 装丁という仕事』 [請求記号:022.57/Ka88]

桂川潤著 新曜社 2010年

 みなさんがよく知る夏目漱石の小説『こゝろ』(大正3年)。漱石がこの作品を「自装」していたことはご存知でしたか?自著の装丁を名だたる専門家に託してきた漱石が、「ふとした動機から自分で遣つてみる気」になって、
  箱、表紙、見返し、扉及び奥附の模様及び題字、朱印、検印ともに、悉く自分で考案して自分で描いた。
という気の入れようで「本」としました。これによって漱石は、みずからの作品を「批評」する醍醐味までも味わうことになったはずです。本書の著者桂川氏の言葉を借りれば、「装丁」とは「テクストにコンテクストを付与する作業」であり、「テクストを読み込む感受性と緊張感=〈共感と批評〉」が要求されるものだからです。そのため、本書でも紹介されているように、岩波書店の名編集者にして装丁家であった田村義也氏のような「編集装丁者」を名のる人もあらわれます。
 年間200本の装丁をこなす著者は、電子書籍の登場によって、「物」としての本のあり方をあらためて考えられるようになったと言います。インターネットの利便性は、一方で、誰でもない誰かになれる身体性の剥奪を容易にしたと指摘されて久しくなりましたが、装丁という仕事は、著者が定義するように、テクストに「身体性(物質性)」を与える役割を担っています。
 著者がみずから与えた素敵な身体を持つ本書には、装丁家といえども足を踏み入れることができなかった製本の現場をはじめ、つぶさに取材された「本づくり」の過程や、名だたる装丁家たちの仕事の紹介が、写真や図版といっしょに楽しめます。なかでも、書体と印刷手法に関わるあたりは圧巻です。冒頭にカラーで配された著者の仕事のうちには、きっと、みなさんにも見覚えのあるものがいくつかあることでしょう。
 さて、ふたたび漱石の『こゝろ』です。冒頭で紹介したような、函、函の背、本の表紙、背、扉、すべてに異なった書体「心」(「こゝろ」)をほどこした漱石自身による装丁から語り起こし、テクストの解釈(「生が死を越えて増殖してゆく、常に開かれた、生の円環(リング)」)へと拡げてゆく手法を採ったマイケル・エメリック氏の「漱石ロココ」(「モンキービジネス2010 Fall vol.11」)は、今回の問題を考えるのに最適の評論です。本書とあわせて、どうぞ。

(学術情報センター長 宮崎真素美(日本文化学部国語国文学科))

 

『大人のいない国 : 成熟社会の未熟なあなた』 [請求記号:共同図書環304/W42/]

鷲田清一, 内田樹著 プレジデント社 2008年

 関西の大学で活躍する二人の哲学者が著者として名を連ねる本書は、二人の軽快なトーク(対談)もあれば、二人がそれぞれ執筆したコンパクトではあるけれども大変中身の濃い論文も収録されるという、とてもユニークな編成になっています。
 この世の中には「一人前」とは思えない大人がたくさんいる。スケープゴートさがし、バッシング、ポピュリズム...。異質な他者への配慮や寛容さはますます失われ、社会全体が一元化へ向かっている。本書はこうした悲しい現実へのアンチテーゼであり、私たちひとり一人には、教養を身につけた「一人前のおとな」となる努力が必要であることを気づかせてくれます。
 「市民社会の健全な発展に貢献できる人材になってほしい。」
 これは本学学長の佐々木雄太先生が毎年卒業式でお話になる大切なメッセージの一つですが、こうした問題意識は、本書だけでなく、以前評者が「今月の5冊」でご紹介した篠原一『市民の政治学』(岩波新書)や宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』などとも通底しているように思います。もちろん、評者自身も政治学者の端くれとして、こうした問題意識を忘れることなく、研究や教育に取り組んでいきたいと思っています。
 是非みなさんも様々な文献を読んで、私たちの社会が抱える重要な課題について悩み、考える「一人前のおとな」になってほしいと思います。

(学術情報センター長補佐 中田晋自(外国語学部ヨーロッパ学科フランス語圏専攻))

 

『にっぽん自然再生紀行 : 散策ガイド付き』 [請求記号:519.81/W44]

鷲谷いづみ著 岩波書店(岩波科学ライブラリー) 2010年

 昨年12月に新幹線が北へ新青森まで開通しました。3月には鹿児島中央(以前は西鹿児島と呼んでいました)まで新幹線が延伸します。開通すれば、東京駅から6時間くらいで到着すると言われています。ますます、日本の風景は距離感を失くしています。「旅に出かけた」という実感が薄れて、町並みや田園風景は日本中どこに行っても似通っている気がします。
 本書は自然の再生の取り組みについて、著者が実際に見聞きしたものです。本書の目次を見ますと「瀬戸際の泥炭地を守る」「ブナ林の里は釣り人の聖地」「極上メロンはぐくむ生物多様性」・・・とあります。今や崩壊の危機にある自然を再生し、生物多様性を取り戻すために立ち上がった人たちを日本の各地に訪ね歩いています。
 地図、行き方、お役立ちウェブサイトの情報を掲載していますので、自然の再生の風景を訪ねるために、少し「風景」のことを考えてみる旅のガイドブックではないかと思います。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 白井)

 

『なんとかしなくちゃ』 [請求記号:930//2996]

モニカ・ディケンズ 著 高橋茅香子訳 晶文社(文学のおくりもの) 1979年

 時代は1930年代。著者のモニカ・ディケンズは、文豪チャールズ・ディケンズの曾孫にあたる、正真正銘のお嬢様です。そのお嬢様が、退屈だからというだけの動機で、コック兼メイドとしていくつかの家庭で働いた経験をもとに書かれたのが本書です。時代は違いますが、以前ご紹介した『マナーハウス : 英國発貴族とメイドの90日』をあわせて見ていただくと、それがどんなに酔狂なことかがわかるでしょう。
 適当な経歴をでっちあげてまんまと職を得、メイド服を買い込んで、嬉しさのあまり寝るまで着たままでいたりする能天気なモニカが、ちゃんと役目を果たせるのかどうか。読んでいる方がハラハラしますが、意外にちゃっかりと、時にはやっぱりへこみながらも、モニカはさまざまな家を渡り歩いていきます。
 いきいきと気の利いた人物描写に邦訳のうまさも加わって、今読んでも全く古くないどころか、つい引き込まれてしまいます。私は電車の中で読んでいて、危うく乗り過ごしそうになりました。すでに絶版になって久しく、この図書館でも埃をかぶっていた本ですが、棚に埋もれたままではもったいない。これを機会に、ぜひ手にとってみてほしいのです。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 新川)

 

『将軍の座 : 御三家の争い』 [請求記号:210.5//310]

林董一著 文芸春秋(文春文庫) 1988年

 平成22年に名古屋開府400年記念行事がいくつか開催され、尾張の武将達を街で目にする機会も何度かありました。やはり名古屋といえば、名古屋城がすぐ思い浮かび、名古屋城主としての徳川家は気になりどころです。
 今回ご紹介する本は、初版は40年以上も前という古い作品ですが、徳川の一門としての御三家の存在について、資料をもとに書かれた歴史エッセイとなっています。
 御三家とは、尾張・水戸・紀伊藩が有名ですが、最初はその3藩ではなかったということも書かれています。最終的にどのようにその3藩になったか、また、御三家の各藩主がどのように幕府とつきあってきたかがわかる一冊です。御三家関係図が最後のページに掲載されているので、これを参考にしながら読むとわかりやすいです。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 古屋)