今月の5冊へ先月までの5冊へタイトルリストへ

書名のリンクは図書館所蔵です。別ウィンドウが開きます。

2012年10月の5冊


 

 

『怪異学入門』  [請求記号:387/Ka21]

東アジア恠異学会編 岩田書院 2012年

 「怪異学」と聞いて、いかなるものなのか俄かには諒解できない方も多いと思いますが、そのものズバリ、現代社会ではあり得ないとされる不思議なコトやモノを研究する学問です。大抵の方は「怪異」は科学的な研究対象ではなくエンターテインメントの世界のものだと思われるでしょうが、果たしてそれでいいのかと立ち上がったのが、東アジア恠(怪)異学会の方たちでした。本書は、その学会立ち上げから10年の節目に当たり、これまでの研究成果のエッセンスをまとめ、より多くの方に「怪異学」について知ってほしいというコンセプトをもって構成されています。
 そのコンセプト通りに、本書は「怪異学を語る」「怪異学を学ぶ」「怪異学を辿る」の3章からなり、この学問がそれ自体成り立ちうることを分かりやすく、それでいて問題提起的に語っています。それは、「怪異」の背後に潜む国家や社会、人間の心性を読み解くことへの挑戦として説明されています。また、研究対象等として特に重要なもの(「疫病神」や「妖怪」など)が11個のコラムとなって紹介されているのも、本書を非常に取っつきやすくしています。さらに、本書から進んで本格的に学びたい人のために、巻末で執筆者が文献紹介しているのも極めて有効です。
 本学でも文化論として「怪異」に興味を抱く学生が現れ始めています。これまで、そうした学生がテキストとして用いるのに適当なものがありませんでした。しかし、本書は今後、確実に基本文献として位置づけられていくと思います。評者も歴史学の立場から「怪異」について全く無関心だったわけではないのですが、やっと研究の意味が腑に落ちてきた感じがします。とりわけ、第1章は「怪異学の成果と課題」を座談会形式で述べ合うものですが、問題意識と研究方法がクリアに示されていて、大変有り難く感じた次第です。

(学術情報センター長 大塚英二(日本文化学部歴史文化学科))

 

『ノー・ノー・ボーイ』    [請求記号:933//2553]

ジョン・オカダ 著 中山容 訳 晶文社 1979年

 八月は、広島平和記念日、長崎原爆の日、終戦記念日と、戦争について考えさせられる月です。最近、近隣の国々とこれまでにないような軋轢が起こっていますから、よけいに考えさせられます。それで今回は、日系人作家による、戦争に直面する日系人を描いた二つの小説を紹介したいと思います。
 日系アメリカ人二世のジョン・オカダによる『ノー・ノー・ボーイ』は1951年にアメリカで出版されましたが、すぐに忘れ去られました。1979年初めて日本語に翻訳された時、日本人に大きな衝撃を与えました。それまで多くの日本人は、日系アメリカ人が本国でどんな扱いを受けていたかをほとんど知らなかったのです。1943年アメリカ政府は、日系人戦闘部隊を編成する目的で、17歳以上の日系人に対し合衆国への忠誠心調査を実施しました。調査票の第27問「合衆国軍隊の戦闘任務に服するか」と第28問「合衆国に忠誠を誓い、日本国天皇を否定するか」は、日系人にとってはたいへん辛い問いでしたが、大半の日系人は「イエス」と回答しました。本書のタイトルになっている「ノー・ノー・ボーイ」というのは、この二つの質問に「ノー」と答えた数少ない日系人のことであり、彼らは敵国に味方する危険人物として投獄され、終戦後もすぐには解放されませんでした。
 主人公イチロー・ヤマダは23歳の時「ノー・ノー・ボーイ」となり投獄され、2年後釈放されてシアトルの実家に帰ってきたところから物語は始まります。合衆国社会からも日系人社会からも軽蔑され、孤立し、家族も今の彼にとっては何の助けにもなりません。孤独地獄の中で、それまで愛し信頼していた母との絆も失われます。イチローは取り返しのつかない自分の選択の結果に苦しみ、「アメリカ人」と「日本人」という二つのアイデンティティの間を行きつ戻りつして懊悩します。しかし、この二つのアイデンティティのどちらかを選択するという以外の生き方にイチローがほんの少し気づき、「希望」らしきものが見えてきたところでこの小説は終っています。
 日系カナダ人二世作家ジョイ・コガワの『失われた祖国』(中公文庫 1998年)は、原題をObasan (1981年 [請求記号:933//2923])といい、カナダではたいへん有名な小説です。太平洋戦争中強制収容所に入れられた日系カナダ人の苦難が描かれています。主人公ナオミには対称的な二人の叔母がいます。エミリーおばさんは、戦後、カナダ政府に対し戦時中の日系人の権利を回復するリドレス運動を押し進めます。一方アヤおばさんは、支配者に逆らわずおとなしく従うことで家族を災難や暴力から守ろうとする、当時の典型的な日本女性です。戦中戦後を闘うかもしくは沈黙して生きる日系女性たちの姿に、長崎に投下された原子爆弾を被爆しながらも沈黙を貫くナオミの母が重なります―「コドモ ノ タメ ガマン シマショ」。
 重要なメッセージを含んだこれらの小説が、早い時期にアメリカとカナダで出版されたことにはたいへん大きな意味があります。

(学術情報センター長補佐 鵜殿悦子(外国語学部国際関係学科))

 

『アレクサンドリア』  [請求記号:242/F39]

E.M.フォースター著 中野康司訳 筑摩書房(ちくま学芸文庫) 2010年

 20世紀初頭、エジプトのアレクサンドリアに滞在したイギリス人作家が、この都市の歴史について書いた本です。その特異な地形により、「アレクサンドリア人はかつて一度もほんとうにエジプト人であったことはない」と著者は述べます。たしかにアレクサンドリアを紹介・形容する際に使われがちな「港町」、「地中海都市」、「ギリシア風」、「ヨーロッパ的」さらには「コスモポリタン」といった言葉からも、この都市のアイデンティティの基盤をなすものは、海やその向こう側の世界にあるようです。
 アレクサンドリアという心地よい響きを耳にしたとき、真っ先に思い浮かぶのは、この一大ギリシア都市の建設を命じたアレクサンドロス大王の横顔でしょうか。あるいはその遺志を継いだプトレマイオス王朝の大理石の首都としてのきらびやかなイメージでしょうか。高さ120m以上と伝えられる大灯台、ヘレニズム文化を支えた王立研究所と図書館、エウクレイデス(ユークリッド)やエラトステネスに代表される学者たち、そしてクレオパトラ7世など、世界史に名を刻む建造物や人物が、興味深いエピソードを交えて描かれます。
 王都アレクサンドリアという輝かしい時代は過ぎ去っても、著者の筆の勢いは衰えることなく、ローマ支配下におけるキリスト教の時代へと突入します。しかし「哲学都市」の章では、それまでの展開とは打って変わって、まるでキリスト教の教義形成史を勉強させられているような感覚に陥ります。著者は、神と人間との関係を説明するために、そのあいだに中間的な存在を想定したことが、文明化したアレクサンドリア人のなせる業だったと考えますが、中間的存在の想定の仕方によって異端に仕分けられた哲学も、正統にとどまったキリスト教もすべて、ここアレクサンドリアでは、その存在を必要としないイスラム教によって一掃されてしまいます。
 著者の執筆の動機は、アレクサンドリアの旅行案内書を書くことだったようですが、通常のガイドブックと一線を画する本書は、100年近く経った今でも、その目的を果たし続けているのではないでしょうか。いつかアレクサンドリアを訪ねる機会があるとしたら、この1冊を携えていくだけで、今は亡き古代都市の面影を見出せるのではないか、そんな期待を抱かせてくれる名著だと思います。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 笹野)

 

『デンマークのにぎやかな公共図書館 : 平等・共有・セルフヘルプを実現する場所』  [請求記号:016.238/Y86]

吉田右子著 新評論 2010年

 現在、北欧は福祉・教育・環境・デザインなどの様々な分野で取り上げられています。その中に図書館を加える必要があるという思いから、著者はこの本を書かれたとのことです。その北欧諸国の中で、充実した図書館ネットワーク、法的裏付け、サービスに携わる専門職の確立などの点から、デンマークは「もっとも成熟した図書館制度をもつ国」と呼ばれているそうです。
 図書館と言えば、静かな場所というイメージがあります。けれども、デンマークではおしゃべり・ケータイは自由、カフェもあるにぎやかな場所。児童室にはマンガとコンピュータゲームは必須。宿題サービス。ネットワークを介したデジタルサービス(電子書籍・電子ジャーナル・音楽のダウンロード、映画も始まる予定)など驚かされることが紹介されています。障碍者・マイノリティへのサービスなども当然行われています。図書館は、すべての人にあらゆる情報を提供する中心的役割を担っているのです。
 日本で行われているサービスもあります。しかし、一番違っているところはサブタイトルになっている「平等・共有・セルフヘルプを実現する場所」は図書館であるという理念が働いている司書にも利用者にも理解されていることなのでしょう。  実際に訪れることはなかなか叶いませんが、本の中で他の国の図書館の入口に立ってみてください。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 平田)

 

『アサーション・トレーニング : さわやかな「自己表現」のために』   [請求記号:守山, 361.454/H64/2009]

平木典子著 日本・精神技術研究所 2009年

 Q.もうすぐテストがあります。そんな時、あなたはゼミの友だちからノートを貸してほしいと頼まれました。ですがあなたは今日、そのノートを使って勉強しようとしていたところです。どうしますか?

A1.「字が汚くてもいいならいいよ」と言って我慢して貸す。
A2.「今頃言うなんて非常識だ」と言って怒って断る。
A3.「今から勉強しようと思っていたので今回は貸せない。この次からもう少し早めに言ってくれたら貸してあげられると思う」と伝える。

アサーション・トレーニングは、こういった、相手に自分の気持ちを伝える場面で、適切な自己表現を取れるようになるためのトレーニングです。この場合、「アサーティブ」な選択肢はA3です。
アサーション(assertion)は、直訳すると「断定、主張」といった強い表現を示しますが、ビジネスシーンで使われる「アサーション」とは、「適切な自己表現」といった意味合いになります。企業、病院などで研修が開かれることもあります。また、ソーシャル・スキル・トレーニング(SST)として用いられることもあります。 著者はアサーションの概念を日本に普及させた人物の一人であり、こちらの本はアサーションの基本的なテキストとして使用されることもあります。これから「アサーティブ」に生きたい、と思われた方にはお勧めの一冊です。

(学術情報センター長久手キャンパス図書館 梅田)