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2013年6月の5冊


 

 

『サバルタンは語ることができるか』 [請求記号:304//479]

G.C.スピヴァク著 上村忠男訳 みすず書房 1998年

 著者ガヤトリ・C・スピヴァク(1942〜)は合衆国で教鞭をとるインド出身の文芸批評家です。2012年科学・文化に貢献した人に贈られる京都賞を受賞しました。本書はポストコロニアリズムと呼ばれる批評の代表的なものの一つであり、彼女の著書『ポストコロニアル理性批判――消え去り行く現在の歴史のために』(月曜社、2003年)の中にも多少改変されて所収されています。
 「サバルタン」とは、イタリア人マルクス主義思想家アントニオ・グラムシが『獄中ノート』の中で展開した概念で、従属的社会集団を意味しますが、スピヴァクはさらに深くその概念を追究しています。彼女によれば、インドは「外国からの支配集団」「全インドレベルの土着支配集団」「地方レベルの土着支配集団」「人民」に階層化されてきましたが、最下層の「人民」はさらに階層化され、もっとも低い層が「サバルタン」です。「ネイティヴ・インフォーマント」として第一世界とつながっているのは「土着支配者集団」までであり、そこからのみ情報を入手してインドについて知った気になっているアカデミック知識人に対する痛烈な批判が、本書にはあります。
 とくにスピヴァクが注目するのはサバルタン存在たるインド女性です。消費主義に接近できず、労働の場と家庭から二重に搾取され、情報と上昇回路を完全に断たれたまま沈黙のうちに生涯を終える女たち。その存在をスピヴァクは「まったき他者」と呼び、西欧中心主義によって他者化されている一般の「他者」とは区別しています。このようなサバルタンの女性に代わって代弁/表象することが、知識人とくに女性知識人に求められています。
 サバルタンは語ることができるのでしょうか? スピヴァクは「表象」について分析します。 “representation”には「代表・代弁」と「表象」という二つの(相反する)意味があります。代弁するということは、代弁者はその本人ではないのですから、基本的にその人を表象することに予め失敗しています。それでも、女性知識人は彼女たちのために代弁の労をとることを諦めるべきではない、とスピヴァクは訴えます。そのための方法としてスピヴァクは、サバルタン存在に代わって語ろうとするよりは、彼女たちに耳を傾け語りかける術を学び知ろうと努める中で、「自ら学び知った女性であることの特権をわざと忘れ去ってみる(unlearn)」ことが必要だ、という示唆に富んだ助言をしています。 

(学術研究情報センター長 鵜殿悦子(外国語学部国際関係学科))

 

『日本開国 : アメリカがペリー艦隊を派遣した本当の理由』     [請求記号:210.595/W46]

渡辺惣樹著 草思社 2009年

 初鰹の季節になるとなぜか読みたくなる『竜馬がゆく(1)〜(8)』(司馬遼太郎,文藝春秋)や『龍馬伝T〜W』(福田靖,NHK出版)では,開国とそれに伴う幕末の国内の混乱を描いている歴史小説です.一方,今回紹介する『日本開国』は,開国を迫った側の視点で,幕末を描いています.具体的には,米国が日本に開国を迫った背景には,米国と中国を結ぶため「太平洋ハイウェイ構想」を構築するという目的があったからという説が展開されています.太平洋ハイウェイ構想のスケールの大きさにも驚きましたが,改めて物事はこちら側だけの視点だけで捉えるのではなく,多面的に捉える大切さに気がつかせてくれます.『日本開国』を読んで以来,歴史小説を読む時は,『もういちど読む山川世界史』も参照しながら,国際社会の中での日本の問題という視座を持ちながら読むようにしています.
 さて,『もう一度読む山川世界史』の最終パラグラフ(278頁)には,“科学・技術の発達によって,かえって人間が機械に管理され,働かされる現象も生じ,ことに先進工業国では人々の不安と疎外感が強まっている.科学・技術のあり方をどのように自然や環境および人間生活と調和させていくかが人類にとって切実な課題となっている.”とあります.『龍馬伝』(W,287頁)には,“新しい政府には,志のあるものを集めんといかん.考え方が違うものも集めんといかん.いろんな考えがあっていいがじゃ.”という台詞があります.両書籍には現代社会が抱えている問題の解決へのヒントが示されているような気がします.

  (学術研究情報センター長補佐 奥田隆史(情報科学部情報科学科))

 

『疲れすぎて眠れぬ夜のために』  [請求記号:914.6// 248]

内田樹著 角川書店 2003年

 「向上心、持たなくていいよ」
 「もっと利己的に行動しなさい」
 「へらへらと質の高い仕事をする」
 「「ほんとうの自分」というのがまるっきりの「作り話」」
 「礼儀作法の目的は何よりもまず「仮面をかぶることによって自分の利益を最大化すること」」
 「今の子どもたちにとっての急務は、いかにして家庭という危険な場所を無傷で逃れ去るかということ」

 「幸福論」ですよ。どうです、なかなか挑発的でしょう。
 このフレーズを選ぶにあたっては、もちろん選ぶ側の「作為」はあります。

 この本のタイトル「疲れすぎて眠れぬ夜のために」とは、力が抜けて安らかな眠りに就くことができるという意味かもしれないし、どうせ眠ることができない夜なのだからとことんつきあってあげるよ、という意味かもしれません。

 4月の節目から、ようやく落ち着いてきて、少し疲れも出てきたころでしょう。このタイトルに興味がわけばどうぞ。
 最後に、読み方について一言。
 「簡単に納得しないこと」

(長久手キャンパス図書館 新海)

 

『世界名画の謎 作品編』  [請求記号:723/C95]

ロバート・カミング著 冨田章 [ほか] 訳 ゆまに書房 2000年

 一日当たりの美術館入場者数が、世界で一番多いのは日本だそうです。毎日、日本のどこかでは大きな展覧会や美術展が開催されており、西洋絵画は日本画より馴染み深いと言ってもいいかもしれません。美術館に行くと西洋絵画のスケールの大きさと技術の高さ、何よりその美しさに目を奪われますが、近代に入るまで絵画は画家が自由に描いていいものではありませんでした。画家の技術は全て宗教のため、王侯貴族のため、パトロンのために使われ、画家の個人的な思いは様々な制約に縛られた上で、作品へと昇華して行きました。
 本書を開くと、美術館に一歩足を踏み入れたように様々な名画が見る人を迎えてくれます。フラ・アンジェリコの可憐さ、ボッティチェリの優美さ、ボスの気味悪さ、ダ・ヴィンチの崇高さ、ジョルジョーネの神秘性、ミケランジェロの壮大さ、等々。どの絵もその時代だからこそ生まれ、尚且つ時代を超越した普遍性を内包しているのを感じることができます。絵の細部まで鑑賞しながら、同時に描かれた主題や象徴を読み解くことができるので、案内付きで美術館を巡っているように読むことができます。
 個人で購入するのに躊躇してしまう大型本は、図書館での利用がお勧めです。勉強の合間にちょっと開いてみて下さい。大型ならではの迫力や、図版や写真の細部を確認することで新たな発見があると思います。

(長久手キャンパス図書館 大島)

 

『大学生のための文学レッスン 古典編』  [請求記号:910.7/D16]

蔦尾和宏 [ほか] 編著 三省堂 2010年

 高校生のころ、古典の授業が好きでした。担任でもあった国語担当の先生の授業が、おもしろかったからだと思います。
 みなさんの中には、同じ日本語なのに古典はさっぱり理解できないと感じている人もいることでしょう。この本の編者たちは、そんなみなさんに「古典を「はじめて」もらいたかった」と言っています。
 この本では「ことばの力」「編集」「読む」「文体」「レトリック」「翻訳する」「共有」という7つのテーマに沿って、みなさん自身が考えて言葉を探していくというレッスンに参加しながら、古典と出逢える構成になっています。
 句読点を打つ位置や濁点をつけるかつけないかといったことや、助詞の使い方や漢字・カタカナ・ひらがなの表記の違いといったことで、文章の意味や雰囲気がかわるというおもしろさにあらためて気がつかせてくれます。
 みなさんもひとつひとつの言葉に丁寧に向き合うことで、物語の解釈の幅を広げてみませんか。

(長久手キャンパス図書館 加藤)