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2013年10月の5冊


 

 

『グレート・ギャツビー』 フィッツジェラルド著

『グレート・ギャッツビー』[請求記号:933.7/F29]小川高義訳 光文社(光文社古典新訳文庫) 2009年
『グレート・ギャツビー』[請求記号:933.7//602]村上春樹訳 中央公論新社 2006年
『グレート・ギャツビー』[請求記号:080/545/5]野崎孝訳 新潮社(新潮文庫) 1989年

 『グレート・ギャツビー』(初版1925年)は合衆国バブル期の1920年代を象徴する作品と見なされていますが、実は物質中心の世相に対する痛烈な批判の書です。主人公ジェイ・ギャツビーは中西部の田舎出身、家柄・金・学歴どれもないけれど、夢だけはあるという普通の若者で、アメリカが好むベンジャミン・フランクリン的なヒーロー(自らの努力によって成功する者)となるはずが、そうは話が進みません。
 文学作品の(男性)主人公のタイプには「ヒーロー」と「アンチヒーロー」とがあります。ヒーローは正義や美徳を体現する高貴な存在ですが、アンチヒーローはその反対で暗く反社会的ですらあります。例えるならヒーローがトム・ソーヤーで、アンチヒーローがハックルベリ・フィン。もしくはスーパーマンとバットマンか。アメリカ文学の主人公はほぼ後者です。これらに対し、『グレート・ギャツビー』はまったく新しいヒーロー像を提示し、新しい文学・文化の流れを作りました。
 ギャツビーは(アンチ)ヒーローたる特質を何も持っていませんが、大きな夢とそれに見合うやる気を持っています。ギャツビーの夢は成功して大金持ちになり、この世で一番いい女と結ばれるというきわめて表層的な夢で、何において成功するか、何がいい女かという理念の部分が語られることはありません。過程でなく結果でしか評価しない薄っぺらな世の中を体現するかのように、彼は不正な手段で金持ちになり、「最高の女」と結ばれそうになりますが、その手前で彼の人生は崩れ去ります。夢のジグソーパズルを完成させる最後のピースであるはずのデイジーが、彼を裏切ったからです。
 これがよくあるストーリーという感じがするのは、ギャツビーが現代のヒーローの原型となったからに他なりません。第二次大戦後のユダヤ系文学の主人公たちはギャツビーに類似する点が多いです。『グレート・ギャツビー』からJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の危うくも夢に忠実な主人公ホールデンへの流れは確かにあります。フランス映画にも、日本の漫画・アニメ・ドラマにも、このヒーロー像は顕著に見られます。
 ギャツビーの厖大なエネルギーは、元々の目標設定が危なっかしいので、妙な方向にずれて行ってしまいます。しかし、つまらない夢でも夢を信じそれに殉じ、強者に立ち向かったギャツビーはカッコいい、と本書は思わせてくれます。何が正しく何が善かわからず、信じられるものは自分しかないという混沌とした現代社会の出現が、このヒーロー像の背景にはあります。

(学術研究情報センター長 鵜殿悦子(外国語学部国際関係学科))

 

『世界はひとつの教室:「学び×テクノロジー」が起こすイノベーション』     [請求記号:379.7/Kh]

サルマン・カーン著 三木俊哉訳 ダイヤモンド社 2013年

 メジャーリーグでは,アフリカ系アメリカ人初のメジャーリーガーJackie Robinsonの背番号だった42は特別な数字で,全球団共通の永久欠番です.彼の半生を描いた野球映画『42』(2013年4月)は,今秋,邦題『42〜世界を変えた男〜』として公開されます.主人公は“I don't think it matters what I believe, only what I do.”と話します.これまでのルールや常識を変えるためには,信じるだけでなく“実際に実行する”ことが大切というメッセージが強く伝わる台詞です.『42』には,アフリカ系アメリカ人への門戸解法を,既得権の侵害として捉えているような選手や監督も描かれています.
 さて.今回紹介する書籍は,上記の邦題のタイトルにならうと「サルマン・カーン:教育を根本的に変えようとしている男」と変えることもできそうです.一般的に,私たちは教育を受けるために,志願校の入学試験を突破して“学校”へ入学し,入学後は授業料などのコストを負担してきました.ですが,「カーンアカデミー」には入学試験はありませんし,無料です.インターネットさえあれば世界中の誰もが,自分の意志で様々な分野の教育を受けることが可能です.これまでの教育機関で中心的に行われてきた,既存知識を教員が受講生に知識を伝授し,受講生は知識を獲得するというモデルが,「カーンアカデミー」により構築されつつあるわけです.「カーンアカデミー」だけでなく,アップル社の「iTunes-U」や「MOOCs:大規模公開オンライン講座」でも無料で著名大学の超一流教授の講義が受講できます.無料とはいえ,各大学,そして教員にとっては,世界中の人々が授業評価するわけですから,質も悪くありません.
 ひょっとすると,大学における講義の根本的な役割が変わりつつあるのかもしれません.体系化されているような既存知識の獲得は,「カーンアカデミー」のようなモノを利用し,各自がオンラインで済ますような時代が,そこまで来ているのかもしれません.英語圏に住んでいる人は,我々より強く時代の変化を感じているような気がします.
 実際は,講義だけでもないかもしれません.私が学生の頃(約30年前)には,下宿や自宅には黒板(今は白板)も,コンピュータも,ネット環境ありませんでした.学術論文検索は夢のまた夢で,自分が大学に行かないとできなかったのです.でも今ではどうでしょうか,カフェでも論文検索はできますし,ロール型白板を持ち出せば,山荘でも海の家でも議論が出来ます.面白い時代がやってきたものです.
 追伸:J.S.ミルのセント・アンドルーズ大学名誉学長就任講演(1867年)をまとめた[1],中学時代に独学で作り始めたアプリがダウンロード数世界第3位となった“Tehu”とグーグル元名誉会長の村上氏との対話集[2]も,大学とは何かを考える機会になります.
 [1]J.S.ミル,『大学教育について』,岩波書店,2011.[請求記号:080/I95-34/116-10]
 [2]Tehu , 村上憲郎,『スーパーIT高校生“Tehu”と考える 創造力のつくり方』,角川書店,2013.[請求記号:007.3/Te19]

    (学術研究情報センター長補佐 奥田隆史(情報科学部情報科学科))

 

『光の教会 : 安藤忠雄の現場』  [請求記号:526.19/H65]※旧共同図書環

平松剛著 石堂威編集 建築資料研究社 2000年

 「建築家・安藤忠雄が口を開く。
 「ほんとに、お金ないの?」
 「ほんとに、ない」
 「それは、ええもんが建つかもしれん」(1章 依頼)」

 ノンフィクションです。舞台は、完成後「光の教会」と名付けられた、日本キリスト教団茨木春日丘教会(いばらきかすがおかきょうかい)礼拝堂建築の“現場”。第三者が客観的に(「プロジェクトX」的でなく、「なんということでしょう…」的でもない)建築現場に取材したノンフィクションというのはあまりありません(当事者(建築家や施主など)が書いたものなら多々ありますが)。しかし、建築の“現場”は“事件(ノンフィクション)”の舞台として実はとてもスリリングなのです。結果よっては“賞”をとったり、訴“訟” になったり。
 「建築が建築たるゆえんは現場にある。一品生産ゆえ、個別の問題がつぎつぎに巻き起こり、その場の判断と行動の一つ一つの積み重ねの結果としてよくなりもすれば、悪くもなる。現代で、リスクとスリルの詰まった製造の現場というのは、宇宙船と建築の二つくらいじゃあるまいか。」(藤森照信『タンポポ・ハウスのできるまで』朝日文庫2001)
 主役は、施主、建築事務所、建設会社…、組織として表記すればそうなのですが、単に組織の駒として関わったというのではなく、否応なく(ちがうな)もう少し積極的にこの“現場”に巻き込まれた(巻き込みあった?) すべての人々。この人々が「光の教会」の“現場”でその「目的=いいものをつくる」ため、そして、その「いいもの」の価値観を巡って、いかに“人間的に”(“わがまま”的なものも含めて)、“ひたむきに”そして“誠実に”ふるまったか。それが“現場”の臨場感のなかに描かれます。
 副題に「安藤忠雄の現場」とありますが、決して“安藤賛美”の本ではありません(少なくとも自宅を設計してほしいとは思わなかった。でも、仕事をする機会があれば(たぶんないけど)それはそれで面白いかも、とも思いましたが。) 。この建築家も、あくまで登場人物の“one of them”として(比重は高いけれど)描かれます。
 戦後日本を支えてきた「ものづくりの(ひょっとすると最後の)現場」、と大上段に振りかぶっていえばいえるかもしれませんが、そこまで気張らなくてもエンターテインメントとして十分読み応えのある一冊。第32回(2001)大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
 ※光の教会:見学可。ただし、教会ホームページから要予約。

(長久手キャンパス図書館 新海)

 

『木に学べ : 法隆寺・薬師寺の美』  [請求記号:526.18/N86]

西岡常一著 小学館 2003年

 法隆寺は聖徳太子が建立したと伝えられる仏教寺院であり、世界最古の木造建築物です。日本人なら誰もが知っている有名なお寺ですが、なぜ1300年もの時を超えて現存することができたのか、この問いに皆さんは答えられるでしょうか。
 本書は法隆寺や薬師寺の修復に棟梁として携わった宮大工の西岡氏が、職人としての経験から得られた知識を語り、話し言葉そのままに本としてまとめたものです。
 法隆寺には創建当時で樹齢千年になるヒノキが材料として使われ、その木の強さが建造物としてさらに千年の時を生きる力になるのだそうです。もちろんただ使えば良いという訳ではなく、木のクセに従って組み方を変えるなど、木に負荷がかからず同時に建造美を保てるように工夫を凝らし、道具の使い方から釘の材質に至るまで、当時の宮大工の技法の高さは驚くべきものでした。そしてそれ程の技法は、卓越した1人ではなく大勢の職人の「事に仕える」純粋な魂があって、初めて成し遂げられた仕事であると西岡氏は言います。
 樹齢千年の木、上質な鉄、利潤ではなく真価を見極める職人の心、どれをとっても現代の技術は飛鳥時代に及ばず、「技術と心は時代とともに退化した」という言葉には考えさせられるものがあります。
 経験とカンに裏打ちされた職人の目には見えない知識と、書物と様式という目に見える知識を信じる学者先生の論争も興味深いですが、悠久の時を超えて残るものが答えを証明していくのでしょう。
 この秋の行楽シーズン、本書を読んで古代日本人に思いを馳せ、古代寺院を巡ってみるというのはいかがでしょうか。

(長久手キャンパス図書館 大島)

 

『点字ブロック : 日本発視覚障害者が世界を安全に歩くために』  [請求記号:369.275/To35]

徳田克己 水野智美著 福村出版 2011年 

 みなさんがいつも道路を歩く途中で、突起がついた黄色の板を見かけることはありませんか。この黄色の板の正式名称は、視覚障害者誘導用ブロックといいます。いわゆる点字ブロックのことですね。これが視覚障害者の安全な歩行の助けとなっていることをご存知のかたも多いかと思います。この点字ブロックは世界でも使われているそうですが、実はこれを考案したのは日本人だということです。しかし日本が生み出したものであるにも関わらず、正しく設置されていないものや破損したものがそのまま放置されているのもよく見かけます。自転車や大きなもので塞がれていることも、少なくはありません。
 この点字ブロックは視覚障害者にとっては道しるべとなっても、車いすやベビーカーを使用している人たちにはかえって障害となってしまうこともあるようです。たしかに私たちが歩いているときにも、気になることがありますよね。
 この点字ブロックをめぐっては、おそらくまだまだ改善されるべき問題があるのではないでしょうか。どんな立場の人も暮らしやすい街になるように、私たちにもできることが何かあるかもしれません。毎日歩く道に少し目を落として、この黄色のブロックの上を通る人たちのことを思い遣ってみてはいかがでしょうか。ただし、あまり下を見すぎて物にぶつからないように気をつけてくださいね。

(長久手キャンパス図書館 加藤)