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2014年4月の5冊


 

 

『プラムバン : 道徳とは縁のない話』  [請求記号:933.7/F16]

ジェシー・レドモン・フォーセット著 風呂本惇子監訳 新水社 2013年

 「プラムバン」とは干しプラムの入った丸パンのこと。ナーサリー・ライムから取ったこのタイトルは「おいしい生活」を意味していますが、同時に、内側に黒さを隠した混血の黒人を表してもいます。本書は、「ハーレム・ルネサンス」と呼ばれた黒人文化が栄えた1920年代、一人の知的な黒人女性が、差別社会の中で、何とか自己実現をしようと模索し彷徨する姿を描いた小説です。作者ジェシー・フォーセット(1882-1961)はその時代に活躍したアフリカ系アメリカ女性作家です。
 物語の舞台であるニューヨーク、ハーレム地区は近年まで危険な場所というイメージがあり、観光客が行く所ではありませんでした。1980年代になってもハーレムでは車から出るなと言われたのを憶えています。しかしこの物語に描かれた1920年代のハーレムは明るさと活気に満ちています。ちょうど現在のハーレムのような感じではないかと、ハーレムを歩きながら思いました。当時、野心と希望に溢れた黒人の若者たちが、暗い差別社会から夢に向かって歩きだそうとしていました。その後の経済恐慌と戦争が彼らの夢を阻みましたが、現在の状況を見ると、彼らの努力が実り始めているのが実感できます。
 主人公のアンジェラは白人と見紛うほど色の白い黒人です。(合衆国の人種事情では、白人と黒人の区別において肌の色は本質的な問題ではありません。)彼女は、自身の身体的特徴を活かし、黒人には閉ざされ白人にのみ開かれている権利を享受するために、白人として生きることを決意します。黒人であるにもかかわらず白人としてふるまうことを「パッシング(なりすまし)」と呼びます。何故そのようなことをするのか、その際どのようなことが起きるのか、この小説はその具体例を示してくれます。
 アンジェラは、白人として生きるため、黒人である妹や友人を無視せざるを得ず、そのことに対する罪悪感に心を苛まれます。その結果、結婚する予定だった白人男性ともうまく行かなくなります。とうとうアンジェラは自分が黒人であるとカミングアウトし、心は落ち着きますが、一方、今まで得ていた多くのもの――様々な権利、自由、仕事、人脈、奉仕――を失います。ニューヨークのような大都会で、寄る辺ない若者が一人で生きることの孤独と不安、それと引き換えに得る自由と上昇への野望。過去の自分を捨てて新しく生きようと考えたことのある人には、アンジェラの気持が理解できるでしょう。
 黒人であることによって受ける不利益と不愉快は、よほど強い精神力があっても、澱のように積み重なり、その人の心身を消耗してゆくことがリアリティを持って描かれています。リチャード・ライトのような抗議小説とは違う形で、人種差別の実相を浮かび上がらせた本書が昨年ようやく翻訳されましたので、ここに紹介します。

(学術研究情報センター長 鵜殿悦子(外国語学部国際関係学科))

 

『Untouchable(最強のふたり)』 [映像資料] [請求記号:DVD//971]

エリック・トレダノ監督 アミューズソフトエンタテインメント

 “大富豪が社会的階級の違いを超えて貧困層の青年と仲良くなる”というストーリーは目新しいものでは無いですし、また“障害者とその介護者”というと重たいテーマになりそうなものですが、この映画は次に何が起こるか予測不可能で、観ている間中ニヤニヤが止まらないのです。フランス映画ですが、難解ではありません。
 フィリップは事故により首から下が麻痺して自分では指一本動かすことが出来ません。周りの人間はフィリップを大富豪の障害者ということで腫れものにさわるように特別扱いします。スラム街育ちで刑務所を出所したばかりなのに、なぜかフィリップに選ばれ介護者として雇われたドリスはものすごくイヤイヤ介護をします。でも、率直に意見を言い、体裁などお構いなしで本気でフィリップと付き合います。そして、不良少年が友人を誘うようなノリでフィリップをいろんなところへ連れ出し、あんなことやこんなこと(マッサージとか!)を経験させてしまうのです。確かに仕事ではありますが、ドリスが苦しがっているフィリップを介抱する表情には、大切な人への愛情を感じます。
 介護や障害者福祉を勉強している学生さん達の中には、ドリスの少々過激なイタズラ(お湯をかけるとか!)を不快だと感じる方もいるかもしれません。でも、フィリップの最高の笑顔が物語っているように、この映画は友情物語として観て、大笑いしてスカッとするのはいかがでしょうか。そして、きっとアース・ウインド&ファイアーの挿入曲がしばらく頭をグルグルします。初めて聞いたという学生さんは、こちらもチェックしてみてください。

     (長久手キャンパス図書館 大石)

 

『家族関係を考える』(『流動する家族関係』所収)  [請求記号:140/14/570]

河合隼雄著 岩波書店 1994年

 社会生活を営んでいく上で、どのような器用な人でも家族との関係というものに一度は悩まされることがあるのではないでしょうか。
 本書は心理療法家である河合隼雄が、相談者から受ける家族についての相談を踏まえて、日本の家族関係について言及しています。「父と息子」「きょうだい」「老人と家族」などの様々な家族関係が、日本の社会構造や世界の神話などの話を交えつつ語られていきます。
 本書には「〜すれば上手くいく」といったマニュアル的なアドバイスは書かれていません。河合隼雄によって語られる家族関係の事例は、どれも簡単に説明できることではなく、何か行動をしてすぐに問題が解決するようなことは少ないです。このことは家族関係という問題がいかに一朝一夕で解決できない難しい問題なのか、を示唆しているのではないでしょうか。
 この本は1980年に出版されたものですが、挙げられている事例は全く古臭く感じられません。家族関係の悩みとは根本的には普遍なものなのかもしれません。自分と家族の関係について考える時の一つのきっかけとなる1冊だと思います。

(長久手キャンパス図書館 山田)

 

『パブリッシュ・オア・ペリッシュ : 科学者の発表倫理』  [請求記号:407/Y48]

山崎茂明著 みすず書房 2007年

 現在、世間を賑わしている万能細胞研究の論文ねつ造・偽造による不正行為。
 この話題にどんぴしゃりな一冊をご紹介します。
 タイトルになっている“パブリッシュ オア ペリッシュ”とは “発表するか、それとも死か”という研究者に対する研究発表を強いる標語です。この言葉を道しるべに本書は科学研究の発表を取り巻く世界に踏み込んで行きます。濃厚な内容だけに読み進むのは大変ですが、読んだ後の充実感と科学研究の不正行為に対してメディアが伝える情報とは異なった新たな視点を見つけることができると思います。
 特に科学界の利権に絡んだ成果主義の研究環境や研究発表に際しての若手研究者への杜撰な教育、そして不正抑制として機能していないピアレビュー(同僚審査)などは専門家の間で起こっている事実とはにわかに信じがたいものです。事例の中には過去の事件がデジャヴの如く現在起きており、それを改善させるための策が具体的に講じられてこなかったのかと愕然とします。
 これら衝撃的な事実に目を奪われてしまいますが、注目していただきたいのは著者が研究者への断罪を望んでいるのではなく、将来を担う若手研究者の育成のために一人でも多くの人に発表倫理を知ってもらい、論文に対するレフェリーシステムの構築、利権から分離された大学や研究機関のあるべき姿を望む視点です。それらの環境を作るには科学研究に携わる人々だけではなく、本書の第二章「公正な科学研究が私たちの生活を支える」とあるように科学の恩恵を受ける私たちも目を向けなければならない問題だと気づかされるはずです。
 科学技術の発展のために日夜実験・研究に取り組む多くの研究者たちに敬意と感謝を持ちつつ、科学界の健やかな未来に期待して一人でも多くの人に読んでもらいたい一冊です。 

(長久手キャンパス図書館 浅井)

 

『「大きなかぶ」はなぜ抜けた? : 謎とき世界の民話』  [請求記号:388/622]

小長谷有紀編 講談社 2006年

 「大きなかぶ」は子どもの頃、読み聞かせをしてもらったお話の中の一つだと思います。
 “おばあさんがおじいさんをひっぱって おじいさんがかぶをひっぱって”の反復フレーズは、いつ、かぶが抜けるのだろうとドキドキしながら聞いたものです。最後にねずみがやって来てかぶが抜けた時は、やっと抜けた、という満足感があります。
 ですが、なぜ最後にねずみ?と思われた方もいることでしょう。ねずみは大変小さな生き物です。加えられる力はほんの小さなものです。このお話の中では大きい者が小さい者の力を借りる、という順に登場人物が出て来ます。そして、小さなねずみの力が加わった所で大きなかぶが抜けます。ほんの小さなねずみの力が最後に必要とされたのは何故だったのでしょうか。
 「ももたろう」は誰でも知っている昔話です。川の上流から流れて来た桃をおばあさんが家に持ち帰り、食べようと割ってみると中から元気な男の子が生まれます。これが、私たちがよく知っている、ももたろうの誕生場面です。ですが、江戸時代には誕生場面が異なるお話があったようです。おばあさんとおじいさんが桃を食べて若返り、若返ったおばあさんがももたろうを産む、というものです。江戸時代には一般的だったと思われるこちらの誕生場面が現代ではほとんど語られなくなった理由はどこにあるのでしょうか。
 「ヘンゼルとグレーテル」はグリム童話の中で多くの人に親しまれているお話です。森の中に置き去りにされ、お腹をすかせてさ迷っているヘンゼルとグレーテルの前に突然現れた“おかしの家”。二人はむさぼりつくように食べ始めます。中世ヨーロッパは戦争と飢餓により、民衆は過酷な状況下で生活していました。ドイツの深くて暗い森の中に現れたおかしの家は生への希求、飽食への憧れが反映されているのでしょうか。
 民話16話が解説されている本書は今まで気がつかなかった民話の不思議な場面や時代背景を教えてくれます。民話を単純にお話として読むだけではなく、隠されているかもしれない意味を考えながら読むのも楽しいものです。今までお話として読んでいた民話の知らなかった面を発見できる一冊です。

(長久手キャンパス図書館 須原)