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2014年7月の5冊


 

 

『アメリカ的、イギリス的』 [請求記号:361.42/E11]

 テリー・イーグルトン著 大橋洋一, 吉岡範武訳 河出書房新社 2014年

 本書は、『文学とは何か--現代批評理論への招待』(岩波書店)[請求記号:901/a/892]で有名な、イギリスの文芸批評家テリー・イーグルトンによるアメリカ、イギリス、そしてアイルランドの比較文化論です。気軽な文明論かなと思って読み始めますと、確かに最初はそうなのですが、第3章あたりから、やっぱりイーグルトン流の理屈っぽい議論が展開されるので、最後まで呑気でいることはできません。難しい議論の苦手な人は、最初の二章だけでも読んでみてください。イギリス人ならではの細やかなアメリカ評が展開され、つい笑ってしまいます。
 イギリス英語とアメリカ英語の違いを較べると二つの国の違いがよくわかります。イーグルトンは、アメリカ人が特徴的に使う単語として、family, hero, America, dream, excited, aggressive等を挙げています。最後の三つ(四つ?)はイギリスではあまり良い意味では使われません。イーグルトンによると、アメリカ人は平易に表現しなければならないという強迫的な考えがあるために、言葉は平易なかわりに、大言壮語に陥るのだそうです。それは「過度の飾り気のなさの裏面」なのです。そうではあっても、アメリカ人学生は、「教室で熱の入った議論をする準備ができている、地球上で最後の学生集団」だと褒めています。
 ところで、人の話が聞き取れなかった時、皆さんは英語で何と言いますか? イギリスでは、それによって出身階級がわかるのだそうです。私は、Pardon?と、中学時代に習った通り律儀に実践していました。(当時はイギリス英語が教えられていました。)ところが、本書によると、下層中産階級がPardon?、中産階級はSorry?、上流階級はWhat?と聞く、とのこと。日本の英語教育は下層中産階級の言い方を教えていたわけです!
 テンションが低い、自分や身内をへりくだる、エレベータで知らない人とは話をしない、未来はより悪くなると確信している等、日本人はイギリス人によく似ています。とくに、イーグルトンがアメリカとの違いについて、オックスフォードの学寮に二十年間もいて、一度も同僚たちと自分の研究について議論したことがない、と言っているのは、日本の大学と似ていると思いました。こうした寡黙さの原因はイギリス人のアマチュアリズム信仰、すなわち、紳士はすごい教養を持っているがそうした知識をひけらかすのは俗悪なこと、という考えがあるためとのことで、その考え方も日本人に似ていると思いました。「過度のプライドの裏面」なのでしょう。
 こう書いていくと、このようなことはステレオタイプだという批判があるかもしれません。しかし、イーグルトンは、共通部分を見ることは差異を見ることと同様重要なことだと言います。個人を見ることはもちろん重要ですが、全体的に把握することも理解に至る一方法なのです。

(学術研究情報センター長 鵜殿悦子(外国語学部国際関係学科))

 

『1分間の心理革命。 : 人生を変える60秒の処方箋』 [請求記号:159/D17]

DaiGo著 KADOKAWA 2014年

 テレビでよく見かけるメンタリストDaiGOの著書です。怪しげなところもありますが、悩んでいるなら実践してみては、と思う戦略もあります。大学での人間関係や5月病の後遺症に悩んでいる人。また、梅雨明けに大胆な水着をきて夏を楽しむために、時短でダイエットしたい人。実現するかどうかは読み手次第だと思いますが、あなたなら叶えられるかもしれません。とりわけ、皆さんにとって切羽詰まった欲求は、前期期末試験に向けて勉強の効率化を図るために集中力をあげることではないでしょうか。著者によれば、気を散らす誘惑は誰もが持っている付箋で撃退できるらしいですよ。

       (学術研究情報センター副センター長 百瀬由美子(看護学部看護学科))

 

『モーツァルトの食卓』 [請求記号:762.346/Mo98]

関田淳子著 朝日新聞出版 2010年

 モーツァルト。彼の名は「神童」、「天才音楽家」という言葉とともに語り継がれ、残した作品は今日世界中の人に愛されています。その一方でかなりの「奇人」、「変人」だったというネガティブな人物像も、最近よく耳にします。いったいどんな人だったのか?本書は、彼の父や彼自身が演奏旅行中に家族や友人にしたためた手紙の中から、「食」に関する記述を緻密にくみとり、そこから人物像に迫っていきます。
 6歳から宮廷音楽家の父に連れられ、演奏旅行でヨーロッパ中を駆け巡り35歳で夭逝するまで、モーツァルトは庶民の家庭料理から貴族の高級料理までを各地で口にしています。スープだけでも数種類(豆や薬草のスープ、病気のときは父手製の牛骨スープ、ヤシ科植物のデンプンで作るサゴスープ、ビールで作ったビアーズッペ、貧しいときは修道院で精進スープ)、甘い菓子や珈琲、ココア、酒(檸檬の皮と干し葡萄のパウンドケーキ、シャーベット、イタリア産の赤ワイン)、ロンドンで出会った牡蠣にはまってのちに肝炎に罹患、高級キジ料理は生涯大好物…
 彼の晩年の収入は、当時の一般人に対し多い方でした。しかし、小柄で病弱、時に上手くいかない作曲の仕事、風采の上がらない自分に対する強い劣等感から、派手な食、衣服、交友のために多額の借金を背負ってまでも、貴族並みの生活を続けようとします。孤独を嫌ったのか妻コンスタンツェには、手紙で「一人で食事をしたくない」という悩みを寄せています。「天才」はたまた「変人」という一般人とはかけ離れたレッテルを貼られ、なにもかも超越していたかのように思われている彼が、そのイメージとは反対の―悩み苦しみ、無茶をしてしまう、人間臭い一面をもっていたことに親しみさえ覚えます。(人間臭いモーツァルトと言えば、映画『アマデウス』(ミロス・フォアマン監督 [請求記号:DVD//735])もおすすめです。)「食」を通して見えてくる彼を想像しながら音楽を聴いてみると、これまでとひと味もふた味も違うなにかを感じることができるかもしれません。

(長久手キャンパス図書館 神尾)

 

『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』  [請求記号:930.278/C24]

村上春樹編訳 中央公論新社 2009年

 村上春樹は大変著名な作家です。そして、彼は翻訳家でもあります。彼が翻訳を手がけている作家の一人がレイモンド・カーヴァーです。
 この本は、カーヴァーの死後、カーヴァーと交流のあった人たちが、それぞれに綴った思い出を翻訳し、一冊にまとめたものです。
 レイモンド・カーヴァーという作家は、その私生活において長く不遇の時期がありました。アルコール中毒で死の間際まで追いつめられたこともありました。ですが、カーヴァーの思い出を綴った人たちは皆、暖かい思い出と共に、そしてあたかもカーヴァーが今ここに居て、一緒に話しをしているかのように、生き生きと彼のことを語っています。実際、カーヴァーの表情やしぐさをはっきりと思い浮かべることができます。中には、エッ、と眉をひそめてしまうようなエピソードもあります。それでも、"まあ、カーヴァーのことだから仕方ないか"と受け入れられるようなやさしさに満ちています。カーヴァーのことを全然知らない人が読んでも、以前から彼と知り合いだったような親しい気持ちにさせてくれます。つらい時期はあったけれど、誰に対しても誠実であったカーヴァーが多くの人に愛されていたことが伝わってきます。
 また、創作活動においてカーヴァーが作品と真剣に向き合い、常により良い作品を生み出そうと努力をしていた様子が多くのエピソードからわかります。作家の生き方が必ずしも作品に反映されるわけではありません。けれど、この本を読むと、作品を読んでみたくなることと思います。県大の図書館にも所蔵がたくさんあるので、ぜひ、併せて読んでみて下さい。

(長久手キャンパス図書館 須原)


 

『走ることについて語るときに僕の語ること』 [請求記号:914.6//280]

村上春樹著 文藝春秋 2007年

 小説家である村上春樹が、「走ること」について書いた文章をまとめたエッセイ集です。本文中に「僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。」とありますが、自身のこれまでのマラソンでの経験を作家としての人生と絡めて語っています。
 この本には村上春樹が走ってきたレースや日々に練習についての描写が数多く書かれます。満足のできる結果になることは多くなく、絶えず体のトラブルやハプニングがつきまといますが、ただ黙々とレースに備えて練習し、走り続けます。また、100キロマラソンに挑んだ際は、徐々に筋肉が悲鳴をあげ、散々な肉体的苦痛を味わった後に、何かが「抜ける」感覚を味わい、「自動操縦のような状態に没入」します。このような描写は、どこか人生に対する哲学的なものを感じさせます。
 60代になってなお長編小説を発表し続ける村上春樹を見ると、「走ること」で培った体力や持久力が、彼の創作活動に大いに生かされていることに気付かされます。
 村上春樹や走ることに興味がある人だけではなく、人生において何かを継続的に続けていくことを志す人にもお勧めできる1冊です。

(長久手キャンパス図書館 山田)