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2014年10月の5冊


 

 

『見知らぬ場所』 [請求記号:933.7/L13]

 ジュンパ・ラヒリ著 小川高義訳 新潮社 2008年

 今月はインド系アメリカ作家ジュンパ・ラヒリの短編小説集『見知らぬ場所』を紹介します。ラヒリは1967年生まれの女性作家で、『停電の夜に』[請求記号:933.7//179]はピュリツァー賞他を受賞し、『その名にちなんで』 [請求記号:933.7//627]は同名で映画化(ミーラー・ナイール監督)もされています。現代アメリカ文学を牽引する気鋭の若手作家といえましょう。
 外国文学を読んでいるとしばしば不思議の感に打たれます。ラヒリの場合も同様です。登場人物はアメリカに住むインド系移民で、アメリカではインド系の人々とだけ付き合い、毎年飛行機でインドに帰省するという生活様式で、日本人である私たちとは何の接点もありません。それなのに、『見知らぬ場所』の登場人物たちの複雑な感情や行動は、私たちにとってまったく違和感のないものです。こうしたことを見るにつけ、人間文化に通底する普遍的な何かを強く感じずにはいられません。
 例えば、短編「見知らぬ土地」を見てみましょう。母に先立たれた父が娘ルーマの家に泊まりにやってきます。ルーマは苦手な父の来訪に憂鬱な気持です。母であれば家事育児を手伝ってくれるのに、父は自分勝手なふるまいしかしないし、また、自分も父にとって期待はずれの娘なのです。しかし実際に共に過ごしてみると、父の気持が理解できるようになってゆきます。ルーマは自分たちと一緒に住まないかと父に提案します。
 しかし、そのような和解が一枚の絵葉書によって木端微塵に吹き飛びます。ルーマは父が投函しようとして紛失した、宛先は英語で内容はベンガル語で書かれた絵葉書を偶然発見します。移民二世のルーマはベンガル語を読むことはできませんが、父が旅行好きになり定期的にヨーロッパ旅行に出かける理由、以前とは違って機嫌がよく穏やかになった理由、自分たちとの同居を固辞する本当の理由、撮ったヴィデオにインド女性がちらっと映っていた理由、それらすべてをその葉書から一瞬にして読み取ります。ルーマは父への復讐のためにその葉書に切手を貼って投函します。
 短編「地獄/天国」では、インド人家庭のもとにインドからの留学生が遊びに来るようになります。彼を「プラナーブおじさん」と呼ぶ女の子の視点から、彼がしょっちゅう家に遊びにやってきて、母や自分と仲良くなっていく様子が語られます。やがてプラナーブに白人の彼女ができ、彼女を連れてやってくるようになります。母は「あんなのすぐに別れるさ」と言っていましたが、二人は結婚してしまいます。何十年も後、母は誰にも秘密にしていたことを娘に打ち明けます。プラナーブの結婚式の後まもなく、母は着ているサリーに液体ガスを振りまき、はずれないようたくさんの安全ピンで止め、台所マッチを持って庭に出ました。しかし、どうしてもマッチを擦ることができず、キッチンに戻った母は、何ごともなかったかのように米を炊き、家族を待ちました。地獄と天国の境目が日常の思いがけないところにあることを、ラヒリの小説は伝えています。

(学術研究情報センター長 鵜殿悦子(外国語学部国際関係学科))

 

『森を見る力: インターネット以後の社会を生きる』 [請求記号:304/Ki78]

 橘川幸夫著 晶文社 2014年

 10年ぐらい前から,私は可能な限り徒歩(ジョギング)や(スポーツ)自転車で移動するというライフスタイルをとっています.このスタイルをとっている理由は,徒歩も自転車も動力は自分自身なので直接的な化石燃料消費量はゼロにできますし,余分なぜい肉を増やさないようにすることができるからです.このスタイルのせいでしょうか,季節の移ろいに対する感覚が研ぎ澄まされたような気がします.このスタイルの流れで,森の生活[1]やロングトレイル[2],山伏[3],ウルトラライトハイキング[4]にも興味が出てきました.
 さて,徒歩や自転車で移動していると,インターネットにつながる研究室や書斎で思考しているときとは,少し異なる思考をしているような気がします.研究室や書斎で思考するよりも,心なしか俯瞰的に思考しているようなのです.何かの構想を練るためには,とても良い状態だと思います.ランニングハイやサイクリングハイとは少し違うこの感覚を人に説明するための,適切な単語を探していたところ,偶然出会ったのが紹介図書です.この感覚を紹介図書では「森を見る力」として定義しています(「森」は「自然界の森」でありません).著者は,インターネットで世の中は便利になってきたが,その結果,人々が過剰に細部や数値目標にこだわってしまい全体を見渡すという「森を見る力」が失われてきて,"木を見て森を見ず"と状態に陥っているのではないかと警鐘をしています.
 さて,この本の著者は,音楽雑誌「ロッキング・オン」の創刊者でもあります.還暦を過ぎても時代の先端を走り続けている矢沢永吉さんの逸話:【2008年,矢沢永吉は大手レコード会社との契約を解除して,自らのレーベルを立ち上げインディーズ・ミュージシャンになりました.彼も参加しているあるロックフェスの楽屋で,若いインディーズのバンドが"やったぜ,オレたちもメジャーデビューが決まったぜ"と満面の笑みで入ってきた時に,楽屋にいた矢沢が"今頃,メジャーになって,なにしたいわけ"と言った.】を紹介し,これまでの生活や価値観を再考してはどうかと問題提起もしています.この逸話は,時代の新しい動きを示しているだけでなく,グローバル資本主義問題([5]がわかりやすい)を解決する具体的なヒントを示している気がしてなりません.

[1] ヘンリー・D. ソロー,『ウォールデン 森の生活』,小学館,2004.[請求記号:934.6/Th8]
 ※岩波書店[請求記号:080/307-1/22I]、講談社[請求記号:934//372]、宝島社[請求記号:934//618]から刊行されているものは、図書館に所蔵しています
[2] 加藤則芳,『ロングトレイルという冒険 −「歩く旅」こそぼくの人生』,技術評論社,2011.[請求記号:786.4/Ka86]
[3] 坂本大三郎,『山伏と僕』,リトル・モア,2012.
[4] 土屋智哉,『ウルトラライトハイキング』,山と渓谷社,2011.[請求記号:786.4/Ts32]
[5] 水野和夫,『資本主義の終焉と歴史の危機』,集英社,2014.[請求記号:332.06/Mi96]

(学術研究情報センター長補佐 奥田隆史(情報科学部情報科学科))

 

『フォト・ドキュメンタリー : 人間の尊厳 : いま、この世界の片隅で』 [請求記号:080/195B/1471]

林典子著 岩波書店 2014年

 著者は世界最大規模の報道写真祭で最高賞を受賞した気鋭の写真家です。社会問題や女性の人権問題を中心に取材されています。
 本をめくると、衝撃的な写真が目に飛び込んできます。女性の顔が何かで焼けただれ、元の顔がわからないほどになっています。『刺激が強すぎる』『こういう写真は見たくない』『展示できない』と言われたこともあったそうです。
 女性の首相や大統領が珍しくなくなったこの現代にあっても、世界のあちこちに虐げられている女性がまだまだいるということは一般常識として知っているつもりでしたが、「13歳で教師の友人からの求婚を断ったら顔に硫酸をかけられた」とか「散歩中に無理やり遠く離れた草原まで誘拐されてよく知らない人と結婚させられる」なんていうことが決して秘密裏にではなくまかり通っているなんて、なかなか現実感が湧きません。だから、これらの写真は衝撃的でしたし、同時に現実なのだと納得させられるものでした。
 (おそらくほとんどの)日本人の価値観では完全に犯罪ですが、現地の人の価値観では"古くからある伝統・慣習・文化"だと納得出来るものなのか?本人達は嫌がり苦しんでいたとしても、社会としては黙認しており、部外者の外国人が口を出すべきではない?自分や身近な人の有している価値観だけが全てでは無いということ、そういう現実があるということを受けとめること、未知の物事についても想像力を働かせること。この本はそういうことを考えさせてくれるものでした。
 これらの写真がどういう経緯で撮影されたのか、著者が被写体とどのように関わって撮影したのか、また過酷な環境での取材活動の様子など。ジャーナリズムに興味のある方は、ぜひ読んでみてください。

(長久手キャンパス図書館 大石)

 

『すし物語』 [請求記号:596.21/Mi81]

宮尾しげを著 講談社 2014年

 2013年、「和食」がユネスコの無形文化遺産として登録されました。
 日本人の伝統的な食文化の代表は、やはり「すし」でしょうか?
 日本を訪れる外国人観光客も、好きな日本の食べ物に「すし」を挙げています。
 回転寿司から高級寿司まで「おもてなし」の場に使われることも多いですね。
 また、食材の水産物の漁獲量の減少や規制などの問題もあり、庶民にとっては価格も気になるところです。
 異常気象、TPPなどの言葉を聞くたび、「すし」の前途が気になる方に、この本をお勧めします。
 「すし」の食べ方から始まり、歴史、材料、職人、すし屋、東西のすし文化、「すし」にちなんだ川柳や俳句、文献の紹介と、様々な切り口で「すしの世界」を紹介しています。
 読み終えたら、「すし」を食べたくなること間違いなしです!

(長久手キャンパス図書館 古屋)

 

『あゝ野麦峠 : ある製糸工女哀史』 [請求記号:366.3//122]

山本茂美著 角川書店 1968年

 今年、富岡製糸場が世界遺産登録されましたが、その際、頭に浮かんだのは「野麦峠」「哀れな工女」でした。製糸工場で患い、信濃から飛騨の実家へもどされる途中、野麦峠で「ああ飛騨がみえる」とつぶやき亡くなった娘など、人生を狂わされた悲しい製糸工女達を描いた映画を思い出しました。,
 しかし原作となったこの本を読むと、工女に対するイメージが少し変わります。この本は元工女の老婆や関係者を取材し書かれた、詳細なノンフィクションとなっています。確かにタイトルにもある通り、工女の哀しいエピソードが多く書かれています。一方、実家で畑仕事をするよりは製糸工場の方がよい暮らしができた、一家の稼ぎ頭であった等、なつかしい青春の日々として喜んで語ってくれた声もあり、意外にも糸引き工女であったことを誇りに思う人々の姿が見えてきます。また、聞き取り調査を元にした統計では、製糸工場でのあらゆる面での待遇は「普通」または「良かった」とする結果がでており、逆にいえば農村での生活の方が苦しかった事が感じられます。
 とはいえ、糸のでき具合で給料が決まるなど、弱肉強食的な厳しい労働環境であった事は間違いなく、また製糸業自体が「生死業」と言われた程、景気に左右されやすく、事業者にとっても厳しい業界であった事が、綿密な調査や資料から読み取れます。
 「哀史」だけにとどまらない、日本の近代化を底辺で支えた庶民がいた事が分かる、貴重な1冊だと思います。

(長久手キャンパス図書館 渡邉)