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2014年12月の5冊


 

 

『フラニーとズーイ』 [請求記号:933.7/Sa53]

 J.D.サリンジャー著 村上春樹訳 新潮社 2014年

 J. D. サリンジャー著『ライ麦畑でつかまえて/キャッチャー・イン・ザ・ライ』(請求記号933//2572, 933.7/Sa53)は永遠の青春文学として人気が高く、1951年に書かれたにもかかわらず今日でも世界中で愛読されている希有な本です。この小説は高校を退学になった17歳のホールデンがニューヨークの町を3日間放浪する物語で、彼の眼にはどんな人も「にせもの」に見え、この世界がとても汚れたものに思えて苦しみます。
 『フラニーとズーイ』(1961)は、難解であまり読み親しまれてきませんでしたが、村上春樹訳により少し読み易くなったので、今回紹介します。本書でも『ライ麦』と同じテーマが展開します。「フラニー」と題された前半部では、フラニーは、恋人レーンとおしゃれなレストランで食事をし、フットボールの試合を見に行くというアイヴィ・リーグっぽい休日を過ごすはずでした。しかし、彼女はもはやレーンのやることすべてが鼻についてなりません。自分の論文を自慢し、自分の考えを滔々と述べて恥じることないレーン。とびきり美人のガールフレンドとデートしているエリート学生という完璧な幸福に酔いしれ、フラニーの話を聞くふりはするものの、その実試合の始まる時間を気にし、夜はいつものように彼女の寮に忍び込むつもりです。そんな俗物男にフラニーはうんざりし、とうとう失神してしまいます。
 「ズーイ」と題された後半部は、変わり者の兄ズーイと、神の名を唱え続けるフラニーの精神状態を心配する母親の会話から始まります。彼らは7人兄妹ですが、そのうち2人はすでに死んでいます。長兄シーモアは、サリンジャーのもっとも有名な短編「バナナ魚にはもってこいの日」において、何の理由もなく突然ピストル自殺しました。「バナナ魚」とはバナナを食べ過ぎて穴から出てこられなくなった魚のことで、つまりこの世界で脳天気に暮らしている私たち「にせもの」のことを指すのでしょう。ホールデン、シーモア、フラニーたちはそのようなエゴに満ちた世界に耐えられません。色々理屈をつけてはいるけれど、結局自分が注目されたい、尊敬されたい、得したいということ、つまり自分のことしか人は考えていないのだ、というのです。
 しかし、『ライ麦』でもそうなのですが、最後に逆転的啓示が待っています。ズーイはフラニーに次のように言います――例えば、平凡な太ったおばさんが癌を患っている。その人のためにせっせと何かをすることが大切なのだと。何故なら「太ったおばさん」でない人なんてこの世に誰ひとりいないのだから。そしてこの太ったおばさんこそキリストなのだと。
 注:「バナナ魚にはもってこいの日」は『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫、請求記号:080/469/5)に所収されています。

(学術研究情報センター長 鵜殿悦子(外国語学部国際関係学科))

 

『素数の音楽』 [請求記号:412/D99]

 マーカス・デュ・ソートイ著 新潮社 2005年

 数学者にはこの世界がどのように見えているのでしょうか。私たちには単なる数字と記号の羅列でしかないものが、この世界の絶対的な真理を表わしていると理解できるのは、ごく限られた人たちです。もしその数式に調和のとれた美しさを見いだすことができれば、天上の音楽を聴いたような感動を覚えるのかもしれません。
 2000年に発表されたミレニアム懸賞問題という、数学上の7つの未解決問題があります。100万ドルの賞金がかけられたその問題のうちの一つがリーマン予想です。リーマン予想とは素数に関する難題で、リーマンが謎を提示してから150年経った現在に至るまで、未だ解かれてはいません。本書はこのリーマン予想、及び素数の世界に引き込まれた数学者たちの物語です。
 リーマン以前のオイラー、ガウスに始まり、ヒルベルト、ハーディー、ラマヌジャン、エルデシュ、セルバーグなど、数学者たちの叡智はリレーのバトンのように時代と国籍を超えて受け継がれていきます。この世界の定理は人類の誕生以前からただそこに存在し、今この瞬間にも発見されるときを待っているのかもしれません。
 1994年フェルマーの最終定理が解かれ、2003年にはポアンカレ予想が証明されました。これらの難問の証明にも様々なドラマがあり、本もたくさん出ています。私も含め数学が苦手な人も、難解で全然わからない、と思いながらの読書もたまにはいいと思います。是非読んでみてください。

(長久手キャンパス図書館 大島)

 

『色のユニバーサルデザイン : 誰もが見分けやすく美しい色の選び方』 [請求記号:501.83/I66]

日本色彩研究所著 グラフィック社 2012年

 みなさんは「ユニバーサルデザイン」という言葉を聞いたことがありますか。この本の中ではその意味について「元のデザインの改造や特別な設計を必要とせずに、年齢、性別、能力、状況の違いにかかわらず、最初からすべての人々にとって利用しやすく設計されたデザインのこと」と説明されています。その中でも色覚のタイプによらず、できる限り多くの人にわかりやすく設計されたデザインが、この本で取り上げられている「カラーユニバーサルデザイン」です。
 色彩の見え方はすべての人に共通するものではなく、人によっては区別がつきにくい配色もあるようです。この本では色が見えるしくみに始まり、色弱者や高齢者がどのように見えているのか、見えづらいものはどう改善をすればわかりやすいデザインになるのかなど、多くの図版とともに解説されています。
 私たちが今いる場所から周りを見渡してみると、さまざまな色に取り囲まれていることに気がつきます。街中にある看板や駅の表示、案内図や機械の操作盤などは、多くの人にわかりやすいデザインになっているのでしょうか。
 たとえば現在みなさんが授業の発表などで作成しているレジュメは、発表を聞く人たちにとってわかりやすい資料になっていますか。今おこなっているレジュメ作りは、今後みなさんが社会に出てから会社でのプレゼン資料やポスター・チラシ・看板などを作るときのための練習であるともいえるかもしれません。もしかすると難しい知識はなくても、見えづらい人もいるかもしれないと考えるだけで、少しでもわかりやすいものができるのではないかとも思います。そういった小さな心遣いが積み重なっていき、みなさんの作るこれからの未来が思いやりと優しさで溢れた社会であるように願っています。

(長久手キャンパス図書館 加藤)

 

『茨木のり子詩集』 [請求記号:080/I95-31/195-1]

茨木のり子著 谷川俊太郎選 岩波書店 2014年

 みなさんは電車に乗っている時に何をしていますか?電車は多くの人が利用しますが、小説を読んだり、景色をみたり、寝たり、それぞれが自分の時間を過ごしています。
 私は仕事帰りの電車で、たまに詩集を読みます。詩を読むと、悲しい時に心が軽くなる一文を見つけたり、頭でっかちになっている時に視野を広げてくれることもあります。気分によって、心に留まる詩が変わるのもおもしろいです。そこで、私が最近読んでいる詩集を紹介します。
 『茨木のり子詩集』です。茨木のり子さんの詩は、「わたしが一番きれいだったとき」や「自分の感受性くらい」など、国語の教科書で多くの人が目にしたことがあると思います。
 この詩集は、茨木のり子さんと親しい間柄だった谷川俊太郎さんが選んだ詩が掲載されています。谷川俊太郎さんも有名な詩人ですので、よくご存知かと思います。同じつくり手として、また友人としての視点で選び集めた詩ということで、一風変わった詩集になっています。
 かつて読んだことのある詩も、改めて読むと違った印象に変わっていて、新鮮に読むことができました。まだピンと来ない詩もありますが、それも歳を重ねると変わるのかもしれません。
 少し分厚いので、つり革を持ちながら読むには向かないですが、通学、通勤の時などに、電車に揺られながら読んでみてください。ハッとする一文が見つかるかもしれません。

(長久手キャンパス図書館 黒岩)

 

『夜は短し歩けよ乙女』 [請求記号:913.6/Mo54]

森見登美彦著 角川書店 2008年

 はい、12月ですね。街を歩けば光で彩られた街路樹が眩しく、猫も杓子も人のぬくもりを求めて鍋パーティに走る今日この頃ですが、キャンパス内では世間の光や温もりに泣く泣く背を向け追われるように論文に取り組む学生さんの姿をみないではありません。そんな修験者のようなみなさんが、パソコン作業と人恋しさにやられて、神経衰弱に陥りそうになったらこの本で気分転換を図ってみてはいかかでしょう。
 この作品は数年前に「大学生に読んでほしい本No.1」として角川書店が太鼓判をおした傑作であり、怪作です。舞台は京都大学と思しき大学を中心にした古都界隈。さえない男子学生の極めて回りくどい恋心と無邪気な後輩女性の面目躍如が双方の視点から交互に描かれています。
 恋愛ファンタジー・・・というジャンルになるようですが、少女マンガのような雰囲気とは180°異なります。もちろん壁ドンなどありません。そのうえ頼みもしないのに次から次へと灰汁がしみ出てくるような癖の強さです。この灰汁は、著者独特のひねくれた表現や観点によるものでしょうが、なかなかどうして膝を打ちたくなるような言い分が憎いです。
 恋がメインテーマといわれていますが、全体を通して描かれているのは大学生というステージにおける出会いのおもしろさとも言えます。畢竟、学生の本分が勉強であることは論を待たないでしょう。大学は、これまでにない知識や価値観の土壌を開拓する場所です。しかし、必ずしも無機的に学問だけ掘り起こせばいいとも思えません。そこは、有機的な開拓をする場所でもあります。いうなれば、その有機的な部分を煮出して凝縮させた搾り汁・・・もといエッセンスが、この本のメインテーマなのだと思います。
 今日までの出会いにホクホクし、明日からの出会にワクワクし、今一緒にいる人との時間でポカポカしたくなる。読み終わると、そんな気分になれます。

(長久手キャンパス図書館 佐藤)