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2015年10月の5冊


 

 

『地図から読む歴史』 [請求記号:291/A92]

 足利健亮著 講談社(講談社学術文庫) 2012年

 私の専攻は人文地理学という学問分野です。「地理」というと、学校教育の中で地名を暗記したり、各地の物産を覚えたりと、「暗記科目」の印象が強い人がいるかも知れませんが、いくら暗記しても「学問」にはなりません。ある場所や土地、地域がどうして今ある姿になっているのか、そこにはどんな背景や理由があり、その理屈を説明するモデルはどうなっているのか、「地理学」はそのようなことを研究する学問です。その今ある姿の情報を提供してくれるものの一つが地図です。地図を手がかりに調べ、その地図をもって現地を歩き、一つの地名や一本の道が、歴史の中でどのように形作られ、山並みや家並み、土地利用といった景観がどのように形成され、地図上にどのように描かれているのか、そういうところから「地図を読む」楽しみが生まれてきます。今まで気付かなかった日常風景の中に、意外な歴史的事実が潜んでいたり、古代史の謎解きの手がかりが見つかったりすれば、こんな心躍る話はありません。そうした楽しい地図の読み方、歴史の解読の仕方を平易に紹介してくれているのが、今回紹介するこの本です。筆者は日本を代表する歴史地理学者でした。この先生の影響を受けて地理学の道に入り、研究者になった人も身近にいます。歴史地理学は、歴史時代の地理をテーマにする地理学の領域で、歴史に興味のある人は是非この本から新たな「日本史」の視角を見出して欲しいと思います。

(学術研究情報センター長 中島茂(日本文化学部歴史文化学科))

 

『孫の力 : 誰もしたことのない観察の記録』 [請求記号:080/C64/2039]

 島泰三著 中央公論新社(中公新書) 2010年

 この本は、日本野生生物研究センターを設立し、ニホンザルやアイアイの生態を研究してきた研究者である著者が、出生から小学校入学までの6年間の孫と、祖父である自分自身(父母や祖母も)を観察した記録です。「いつからか、私は自分の記憶のない時代、幼年時代を明らかにしたいという気持ちを強く持つようになった。そこに光を当てたいと思ってきた。記憶のない時代に、どのようにして心が作られてきたのかを見たいと思ってきた。孫が生まれたのはちょうどいい機会だった。」と著者は述べています。ですから、この本では私たちが何気なく見ている赤ん坊の動きや何かを話す様子などが克明に記録され、そして、「孫娘は坐りこんで、紙をばらばらと扱いながら『うらうらうらうら』と何事か話しはじめている。『意識化だ』と私はとっさに思う。」など生態研究者の視点が随所にみられます。ニホンザルや他の動物との比較も「そうなんだぁ」と納得できます。同時に「その笑顔は、爆発するような喜びを祖父母に抱かせる。」など祖父としての感情や反応も記録され、自分自身を客観的に見つめる研究者の目と祖父の慈愛に満ちたまなざしが交差します。これから子どもや孫に出会う皆様にぜひ読んでほしい本です。孫の変化を追っていくうちに、あっという間に読み終わること間違いなしです。

(学術研究情報センター副センター長 小松万喜子(看護学部看護学科))

 

『キバと幸福 (梅棹忠夫著作集(12) 人生と学問」)』 [請求記号:389/12/504]

 梅棹忠夫著 中央公論社 1991年

草食系男子にイライラしている女子も多いかと思います。
今回紹介するのは草食系男子を敢然と擁護した文章と言えるかもしれません。
国立民族学博物館の館長も務めた学者、梅棹忠夫の講演を文章化したものです。

梅棹は、もう立身出世を目指す明治時代ではない、日本はあの頃とは全く違う国になっている。個人生活や人生についての考え方も明治の頃とはすっかり別なものになった。明治はイノシシがキバをむきだして目的に向かって邁進した時代だった。近代日本の建設が進み、現在の繁栄がもたらされた。その結果、今やイノシシのキバは不要になった。平和な社会生活においてキバは邪魔だ。押し合いへし合いの高密度社会ではキバを振り回されては危なくて仕方がない。そういう時代になってきた。
キバは捨てるほかない。現代はイノシシたちの武装解除の時代だ。キバを失ったイノシシとは何か?それはブタでしょう。現代の日本の青年たちはまさにブタのごとき存在になりつつあるのだと言い放ちます。
哀れ草食系男子はブタ扱いです。

でも彼は続けます。
幸福追求や生活水準の向上などの世俗の極みの果てに、もう一度崇高な何か聖なるものが出てくる可能性があるのではないかと考えている。ブタにもう一度キバが生えてくるかもしれない。ブタの再武装だ。けれどもこの時のキバは生物的生存目的をもったキバではないのではないか。人間の問題は本来精神の問題だ。もし個人がキバを持つとすればそれは精神のキバであり生物的生存目的のためには不必要な武装だろう。それは生物的な目的の喪失を超えた人間精神の聖なる放出のための武装だ。世俗の生活が満ち足りた時、精神の神聖な再武装がはじまるのだと、

草食系男子は、精神の神聖な再武装の途中なのでしょうか?
「キバと幸福」は、1959年11月10日京都で行われた講演です。
驚くなかれ、今から56年前の話です。

(長久手キャンパス図書館 松森)

 

『ジャーニー・ボーイ』 [請求記号:913.6/Ta33]

 高橋克彦著 朝日新聞出版 2013年

 イザベラ・バードの『日本奥地紀行』はご存知の方が多いでしょう。明治の初め、日本を旅した英国人女性旅行家の紀行文です。この本はその『日本奥地紀行』を題材に、史実とフィクションを織り交ぜたエンターテインメント小説、です。
 明治維新直後の混乱した世の中で、通訳兼従者の伊藤鶴吉が反政府勢力の妨害からバードを守り横浜から東北を旅するというストーリーです。『日本奥地紀行』ではバードは伊藤のことを「愚鈍に見える」だとか「ぶ男のくせにおしゃれがえらく好きで」などと、結構こき下ろしているのですが、この本の伊藤は腕っぷしも強く、随分カッコいいです。あくまでもフィクションなので、本当の伊藤鶴吉がこんなふうだったかどうかは誰も知る由がないのですが、生き生きとしたセリフを読んでいるとドラマや映画を見ているような感覚を覚えます。個人的にはイザベラ・バード役にはメリル・ストリープ(あるいはジュリアン・ムーア?)、そして伊藤役は松田龍平(伊藤は身長150センチ足らずなので、違い過ぎますが…)あたりで映画化してくれないかなぁと妄想しています。
 『日本奥地紀行』については、図書館にいくつかの翻訳本や研究書があります。当時の日本の田舎の生活、またアイヌについてなどが詳しく書かれていて、民俗学上の貴重な史料です。じっくり読むと面白いのですが、少々単調に感じるかもしれません。まずはこの本で、バードと伊藤という人間に興味を持ってもらえたら『日本奥地紀行』もより面白く読めるかもしれません。
 しかも、バードと伊藤が恋仲だった!という更にイマジネーションを膨らませた小説『イトウの恋』(中島京子著[請求記号:913.6/N34])もあります。伊藤の恋心が溢れていて、この後に『日本奥地紀行』を読むとちょっと違うものに感じてしまいそうです。だから2人の名前をぼかしてあるのかもしれません。ぜひ『日本奥地紀行』の後にお読みください。

(長久手キャンパス図書館 大石)


 

『近世菓子製法書集成 (1) (2)』 [請求記号:080/710/13, 080/713/13]

 鈴木晋一・松本仲子編訳注 平凡社(東洋文庫) 2003年

 今回ご紹介する本は、偶然、検索結果にヒットして目に留まったものです。私がまったく別の資料を探している際、書名に一目惚れして借りてしまいました。
 タイトルの通り、江戸時代のお菓子の製法を書き記した資料、いわゆるレシピ本の翻刻をいくつも収録したものです。古典は苦手という人でも、現代語訳と注釈・解説が付いていますから読みやすいでしょう。
 お菓子専門のレシピ本というのは、江戸時代に入ってから書かれるようになったとのこと。それまでは料理本の一部や辞書のなかに収録されていたようです。
 煎餅、お饅頭、求肥といった私たちにも馴染みのある和菓子はもちろんのこと、カステラや金平糖、カルメ焼きなどの南蛮系のお菓子から、現代で言うところのミートパイやパンプキンパイに当たるレシピまであることに驚きます。「雪花(ゆきはな)」「寒紅梅」といった美しい名前にも惹かれますね。
 お菓子の名前について面白いと感じたのは、字の読み間違い・書き間違いによって、元とは異なる名前になってしまったものがあるということ。作者が古い資料を見ながらレシピ本を書く際に、そのお菓子のもとの名前を知らないために、字を読み取った通りの名前が定着してしまったというものです。
 お菓子とは関係ありませんが、これ、授業や課題なんかでくずし字を読む時に起こりがちな展開です。読み間違えていることに気付かないまま、何とか文脈に合わせて解釈しようと頭を捻る。ヘンテコな訳注ができあがる。人に指摘されるとようやく気付くわけですが、それはたいてい授業の発表か、課題提出の後。翻刻間違いで恥ずかしい思いをした記憶が私にはいくつもありますが、皆さんはどうでしょうか。
 ……それはさておき、古今東西のお菓子の製法、なかには架空のレシピも紛れているようです。これからの季節、食欲の秋に乗じて、まだ見ぬお菓子作りに挑戦してみてはいかがでしょうか。

(長久手キャンパス図書館 井上)