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2016年6月の5冊


 

 

『ポスト資本主義−科学・人間・社会の未来−』 [請求記号:080/I95B/1550]

 広井良典著 岩波書店(岩波新書) 2015年

 近代科学と資本主義とは、歴史的には表裏一体の関係で進化してきましたが、その両者が技術と経済の無限の発展を前提にしていると筆者は捉えています。ところが、こうした無限発展の論理は、地球資源と環境の有限性ゆえに成り立たちません。成長拡大を前提としない定常的な社会の基本的な枠組を「ポスト資本主義」と捉えて、そのあるべき未来社会を考え、築いていこうというのが本書の中身です。まず、第T部では資本主義社会の歴史的歩みをたどり、資本主義社会の成り立ちや市場経済との関わり、科学技術発展との同期性を示しています。そして、第U部ではそうした資本主義やポスト資本主義社会の基本的な枠組となる科学や情報・自然・生命といった概念および関係性について議論を深めています。さらに、そうした議論を踏まえて、第V部では目指すべき将来社会のあり方、「ポスト資本主義」の中身の議論を行い、地球資源や地球環境との調和、整合性を前提とした「持続可能な」定常的社会を、将来社会の姿とすべきという考え方を示しています。その上で最後には「地球倫理」というキーワードのもとに、金銭的合理主義に走らない民俗的・文化的価値意識を前提とした科学と社会倫理のあり方と捉えようとしています。これはたいへん大事なことですが、この話題でもう一つ議論がほしいところは、近代科学と資本主義を語るときの進化論と宗教的価値観のせめぎ合いに関わる問題だと思います。

(学術研究情報センター長 中島茂(日本文化学部歴史文化学科))

 

『犠牲 (サクリファイス) : わが息子・脳死の11日』 [請求記号:915.9//158]

 柳田邦男著 文藝春秋 1995年

 柳田氏は著名なノンフィクション作家です。本書は、柳田氏の次男・洋二郎氏(25歳)が「突然自ら死出の旅に出てしまった」という書き出しから始まります。洋二郎氏が自室で自殺をはかり、意識が戻らないまま脳死状態となり、柳田氏が悩んだ末に臓器提供を決心するまでの11日間の記録です。洋二郎氏が克明に綴った日記の一部も、それを読んだ柳田氏の思いとともに紹介されていきます。意識が戻らない息子の病室での時間、家族とのやり取り、医療者の関わりなどが、父親でありノンフィクション作家である柳田氏の目線と価値観を通して書かれており、看護師でもある私は、医療者に関する記述部分に引き付けられたり、洋二郎氏と柳田氏の苦悩や葛藤に心が押しつぶされそうになったり、いつもぐらぐらしながら読みます。そして、読むたびに涙がこぼれます。後半では、脳死とは何か(脳死は人の死なのか)、臓器提供、移植医療など、現代医療の問題にも深く迫ります。一人称・二人称・三人称の死、選択できる「死」など、私たち一人ひとりが考えなければならない課題も提示されます。生と死を巡る課題は、どこか自分とかけ離れた抽象的なイメージで考えがちですが、それらを現実に体験した記録を読んで、その問いを突きつけられると、思考も心も揺さぶられます。

(学術研究情報センター副センター長 小松万喜子(看護学部看護学科))

 

『評価経済社会 : ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』 [請求記号:304/O38]

 岡田斗司夫著 ダイヤモンド社 2011年

 7月2日(土)愛知県立大学長久手キャンパス講堂で、芥川賞作家平野啓一郎氏が講演を行います。  タイトルは「複数の「私」を生きる 〜個人から分人へ〜」

くわしくはこちらのサイトをご覧ください
http://www.bur.aichi-pu.ac.jp/renkei/koza/2016/05/28-3.html 別ウィンドウが開く 

 平野さんは分人主義を掲げています。「人間は実は、唯一不変の存在ではなく、出会う相手により、複数の「分人」を使い分けている」という考え方です。
 1つの体に1つの人格が当たり前と思っていましたが、この複雑な現代、1つの体に複数の人格を持つという事もありかもしれません。いやむしろ、すでに複数の人格を持っているのかもしれませんし、使い分けているのかもしれません。

 すると紹介する本は、平野さんが分人主義の考え方を書いた本『私とは何か : 「個人」から「分人」へ』2012年刊となりそうなものですが違います。
 実はこの分人という考え方、私は以前にも読んだことがあるのです。
 それが今回紹介する本、『評価経済社会:ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』です。2011年刊なので確かに『私とは何か : 「個人」から「分人」へ』より早く刊行されています。
 ところが、平野氏が分人主義を最初に記したのは『ドーン』という小説で、これは2009年に刊行されています。
 じゃあ平野さんの方が早いのかというとそうでもないのです。
 『評価経済社会:ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』は『ぼくたちの洗脳社会』という1995年に出された本を改題改訂したものなのです。
 20年ほど前に書かれたこの本の内容が、現在結構実現していることに驚く未来予言の書なのですが、著者の岡田斗司夫氏は、アルビン・トフラーと堺屋太一に影響を受けてこの本を書いたと述べています。

 『第三の波』であまりにも有名な未来学者のアルビン・トフラー、『知価革命』等の代表作がある日本を代表する作家・評論家・官僚でもあった堺屋太一、朝日新聞で人生相談もしているオタク評論家の岡田斗司夫、そして当時最年少芥川賞受賞作家となった平野啓一郎の4人が分人という考え方でつながりました。そして平野啓一郎氏がまもなく県立大学で講演します。ワクワクしますね。
 (『』で囲った図書の数々、全て長久手キャンパス図書館に所蔵しています)

(長久手キャンパス図書館 松森)

 

『世界の辺境とハードボイルド室町時代』 [請求記号:204/Ta47]

 高野秀行, 清水克行著 集英社インターナショナル 2015年

 まず、タイトルを見て「あれ、アノ本の…?」と思いましたよね。いえ、アノ本とは全く関係ありません。図書館で働いていると毎日沢山の本を目にしますが、昨年度いちばん衝撃を受けたのがこの本のタイトルでした。さらに、装画は山口晃さんの『奨堕不楽圖』。中世の武士の絵だよね〜と思ってよく見ると、バイク?軽トラ?現代と中世が共存しているような、この本にぴったりの絵です。
 「辺境ノンフィクション作家」高野さんの、マニアックすぎて"誰にも打てなさそうな魔球レベルの質問"を、「日本中世史専門の大学教授」清水さんが"真正面からジャストミートで打ち返す"、そんな対談集です。現代の世界の辺境と中世の日本の似たところ、違うところ、疑問に思っていたこと、腑に落ちたこと、等々。人々の考え方や社会の仕組みについてだけでなく、米、妖怪、ジャーナリズム、中古車など話題は多岐に亘ります。初めて会った時は5時間もしゃべり倒したとか。「同好の士」を得たお二人が、今後も何か面白いことを企画してくれないかと期待しています。
 高野さんがミャンマーに住み込んでアヘンを栽培したという『アヘン王国潜入記』(316.823/Ta47長久手書庫)を読んだことで、早稲田大学探検部出身だという高野さんに興味を持ち、著書をいくつか読んだ延長でこの本に辿り着いたのですが、この本をきっかけに、清水さんの著書も読んでみました。さらには山口晃さんにも興味津々です。こうやって興味が繋がり・広がっていくことが読書の面白さだと思います。

(長久手キャンパス図書館 大石)


 

『日記をつける』 [請求記号:816.6/A63]

 荒川洋治著 岩波書店(岩波現代文庫) 2010年

 日記というと色々なことを思い出します。
 小学生のころ、夏休みの宿題で出された絵日記や、友達とこっそり回していた鍵付きの交換日記。高校生の時、日直がかわるがわる書いた日誌など。
 みんなで書いたり、提出を迫られて書くものはなんとか書くことができたけれど、自分で思い立って始めた日記というのは、十中八九、三日坊主で終わっていました。なぜ続かないんだろう?いや自分は飽き性だから仕方ない、と言い訳を続けていましたが…。
 日記を楽しく続ける秘訣が、本書の著者のことばにありました。
 「ちょこっとつける」
 これが大事なのでした。なにも一日の出来事を洗いざらい書く必要はなく、もちろん長い文章で書く必要もない。「ちょこっと」ずつ、しるしを「つける」ように記していくことで、記憶が形になって残り、積み重なり、自分の記録になっていくのです。
 本書の中では、いろんな日記が紹介されています。
 子どもがつけた日記、大人がつけた日記、食べた物のこと、旅の記録、好きな人のこと。小説のように美しい文章で書かれたものや、本当にそっけないほど簡潔に書かれたもの。「日記」と一口に言っても、だれがつけたのか、何についてつけたのかなどによって、実にさまざまあることがわかります。そして読んでみると、楽しい。
 ちなみに私も日記をつけています。見た夢をメモする夢日記と、読んだ本を記録していく読書日記です。毎日つけるわけではありませんが、なんだかんだで続いています。
 さて、もうずっと日記をつけているという人も、今年こそは続けたいと思っている人も、ぜひ本書を読んでみてください。日記の魅力を発見できることと思います。

(長久手キャンパス図書館 井上)