コラム

高木市之助 初代学長

本学の草創、1947年に愛知県立女子専門学校が1950年に女子短期大学に改組され、初代学長として迎えられたのが、著名な日本古典文学者だった高木市之助(1888-1974年)である。

高木市之助は、愛知県名古屋市生まれ。東京帝国大学文学部を卒業後、高等学校教授やヨーロッパ留学などをへて、1925年から京城帝国大学、1939年から九州帝国大学教授をつとめ、敗戦後1948年に日本大学教授となる。

日本の古典文学、特に『万葉集』研究の第一人者であり、とりわけ『吉野の鮎 記紀万葉雑攷』(岩波書店、1941年)は学術書としての古典になっている。『湖畔 ワーズワスの詩蹟を訪ねて』(東京書院、1950年)、『古文芸の論』(岩波書店 1952年)、『日本文学の歴史』(武蔵野書院、1960年)、『日本文学の歩み』(武蔵野書院、1960年)、『貧窮問答歌の論』(岩波書店、1974年)などがあり、『高木市之助全集』全10巻(講談社、1976-1977年)もある。また自伝『国文学五十年』(岩波新書、1967年)があるほか、評伝に安藤宏『高木市之助 文藝論の探求』(近代「国文学」の肖像第5巻、岩波書店、2021年)もある。

学界第一線の高木市之助がいかに当時の学生に仰がれていたかは、この愛県大史WEBに付されている卒業生インタビュー(長谷川文子さん、都築千枝子さん)からもよくわかる。抽象的な“文学”の意味を的確にまた印象深く示されたこと、卒業後にもその業績を仰ぐ機会があったことなど、教師としての面目は独特である。

また、愛知県立女子大学の校歌を作詞したのは高木市之助である。古代歌謡についての専門知見のほか、たくさんの教育歴、また『尋常小学国語読本』(中公新書、1976年)という著作もあり、学校教育への意欲が校歌作詞に結びついているのであろう。「大学は叡智のすみか」ではじまる校歌について、コラム「愛知県立女子大学の校歌」のご参照と、斉唱の音源ご視聴をお願いしたい。

晩年の高木市之助(写真:学長室保管)

執筆

  • 執筆者
    日本文化学部教授
    上川 通夫
  • 投稿日
    2023年08月22日

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